日本代表監督列伝(日本代表)

【監督列伝】高倉麻子 男女通じて日本代表初の女性監督、2018年女子アジアカップ優勝

高倉麻子氏は1968年4月19日、福島県生まれ。なでしこジャパンの監督を、2016年4月から2021年8月まで務め、男女を通じて日本代表初の女性監督となった。65試合34勝10分21敗。

2018年のアジアカップでは優勝(女子アジアカップまとめ)、2019年のW杯(フランス)は、ラウンド16でオランダに1-2で敗れた(2019年女子W杯の総括)。東京五輪(2021年)では、準々決勝でスウェーデンに1-3で敗れて、8強(女子五輪まとめ)だった。

15歳で日本代表に選ばれた天才少女

福島市で少年団に入ってサッカーを始め、中学時代には東京都リーグのクラブに通った。1983年、15歳で日本女子代表に初選出され、翌1984年10月17日、16歳でイタリア戦に出場して代表デビューを果たした。福島成蹊女子高校には女子サッカー部がなく、男子生徒が多い福島工業高校で練習し、週末は東京の三菱養和クラブに通う生活を送った。

1985年に読売ベレーザ(現・日テレ・ベレーザ)へ入団し、1989年の第1回日本女子サッカーリーグで初得点。ベレーザは1990年から1993年まで4連覇し、高倉氏は1992年、1993年にリーグMVPを受賞、ベストイレブンには7回選ばれている。日本代表としては、1991年の第1回女子W杯(中国)、1995年のスウェーデン大会(ベスト8)、1996年のアトランタ五輪に出場した。1999年には、松下電器のバンビーナ(現スペランツァ高槻)へ移籍。米国のシリコンバレー・レッドデビルズを経て復帰し、2004年シーズンで現役を退いた。リーグ通算226試合出場は、当時の歴代1位だった。

ユース年代での実績

指導者としては、U-16・U-17日本女子代表のコーチを経て、2013年にU-16日本女子代表の監督に就任した。同年10月のAFC U-16女子選手権で、北朝鮮を破って優勝し、2014年のU-17女子W杯(コスタリカ)では、グループリーグから決勝トーナメントまで無敗で勝ち上がり、決勝でスペインを2-0で下して、日本のU-17女子代表として初の世界一に輝いた。続けて、U-18、U-19代表を率い、2015年のAFC U-19女子選手権も制した(決勝は北朝鮮)。この間、AFCの年間最優秀女子監督に連続で選ばれるなど、育成年代の指導者として高い評価を得た。

初の女性代表監督としての5年間

2016年4月27日、佐々木則夫氏(佐々木氏の列伝)の後任として、A代表の監督に就任した(U-20代表との兼任で、この年のU-20W杯は3位)。初陣は米国との親善試合で、3-3の引き分け。2017年3月のアルガルヴェ・カップ、アイスランド戦で就任後5戦目にして初勝利を挙げた。

  • 2017年1月:熊谷紗希選手(熊谷氏の列伝)を新キャプテンに任命
  • 2018年4月:アジアカップ(ヨルダン)で大会2連覇。就任後初のタイトルで、W杯フランス大会の出場権も獲得。アジア競技大会でも優勝
  • 2019年6月:W杯フランス大会で、ラウンド16でオランダに1-2で敗退(2019年女子W杯の総括)
  • 2021年7月:東京五輪でグループ3位ながら勝ち上がり、準々決勝でスウェーデンに1-3で敗れて8強(女子五輪まとめ)
  • 2021年8月:任期満了で退任

「個を生かし和を奏でる」というチーム作りを掲げ、若手の登用と世代交代を進めた。自らも日本サッカーの黄金期を支えた元選手だったことから、選手の自主性を尊重する姿勢が印象的だった。

退任後

退任後は、東北地方の女子サッカーを盛り上げる「いわてスポーツプロジェクト」のアドバイザーを務め、2022年には中国女子スーパーリーグの上海盛麗の監督に就任することが発表された。日本の女子サッカーの草創期から現在までを、選手、指導者として支え続けた人物である。

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