【在籍時代を振り返る】奥寺康彦(1981-1986):日本人初のプロサッカー選手が刻んだブレーメンでの206試合
奥寺康彦選手は秋田県出身の日本人初のプロサッカー選手。1977年に古河電工から1.FCケルンへ移籍し、当時「東洋のコンピューター」と呼ばれるほどの正確なプレーでブンデスリーガに衝撃を与えた。ケルンでリーグ優勝を経験した後、ヘルタ・ベルリンを経て1981年にブレーメンへ加入した。
ブレーメンでの5シーズンでクラブ史上でも屈指となる通算206試合に出場し13得点2アシストを記録。右サイドバックからボランチ、ウィングまで幅広いポジションをこなす器用さで、就任間もないオットー・レーハーゲル監督が進めていたチーム再建を支えるベテランとして重宝された。奥寺選手が在籍した1983年、1985年のシーズンはいずれもリーグ2位という僅差でタイトルを逃した時期と重なっており、悲願の初優勝(1987-88シーズン)を見る前年の1986年にクラブを離れ、古巣・古河電工へ復帰する形でキャリアを終えている。
日本人選手が欧州でプレーすること自体が前例のなかった時代に、10年近くにわたり第一線で結果を残し続けた先駆者として、その功績は今も高く評価されている。
出典: スポーツナビ / Transfermarkt