【選手列伝】三浦知良(カズ) 日本代表89試合55得点、アジアを制した「キング」
三浦知良選手は1967年2月26日、静岡市生まれのFW。高校中退後にブラジルへ渡り、サントスなどで修行した後(1986〜90年)、読売クラブ(後のヴェルディ川崎)に加入。1990年から1998年までの在籍で192試合100得点を挙げ、1993年のJリーグ初代最優秀選手に選ばれた。
その後、ジェノア(1994〜95年、期限付き)、クロアチア・ザグレブ(1999年)、京都(1999〜2000年)、神戸(2001〜05年)、横浜FC(2005年〜)と渡り歩き、2026年には福島ユナイテッドへ期限付きで加入するなど、現役を続けている。日本代表としては89試合55得点。1992年のアジアカップで優勝と大会最優秀選手を獲得し(1992年アジアカップの総括)、アジア年間最優秀選手にも選ばれた。1998年W杯のアジア予選で27得点を挙げるなど貢献したが、本大会には出場していない。2012年にはフットサルW杯にも出場した。
15歳の単身ブラジル留学
静岡学園高校を1年足らずで中退し、1982年末に15歳でブラジルへ渡った。当初はサンパウロ州のジュベントスなどで下積みを重ね、小柄で決め手に欠けるという理由から「プロは無理だ」と言われた時期もあったという。それでも帰国せず、1986年にサントスと初のプロ契約を結ぶ。その後は各地のクラブを転々としながら経験を積み、1988年にはキンゼ・デ・ジャウー所属でコリンチャンス戦に出場して日本人として初のブラジル国内リーグ得点を記録し、ブラジル国内でもその名が知られるようになった。1989年にはコリチーバでパラナ州選手権優勝を経験している。
読売クラブ、そしてJリーグ初代MVP
1990年、Jリーグ発足を見据えてW杯を目指す日本代表に選ばれやすい国内でのプレーを選び、読売クラブに加入した。ラモス瑠偉氏や北澤豪氏らとともに黄金期を築き、1991年、1992年の日本サッカーリーグ連覇、1993年、1994年のJリーグ初代・第2代王者に貢献した。1992年のナビスコ杯(当時)ではMVPを受賞し、1993年には日本人選手最多の20得点を挙げて初代のJリーグ最優秀選手に選ばれ、アジア年間最優秀選手にも輝いた。
1994年には期限付きでジェノアへ移籍し、東アジア出身選手として初めてセリエAでプレーした。この年は21試合1得点で、得点はサンプドリアとのダービー戦だった。1995年にヴェルディへ戻り、1996年にはリーグ得点王を獲得。同年にはFIFA最優秀選手賞に日本人として初めてノミネートされている。
日本代表でのキャリア
代表デビューは1990年9月26日のアジア競技大会・バングラデシュ戦。1992年のダイナスティカップで代表初ゴールを挙げ、ハンス・オフト監督(オフト氏の列伝)の下でエースFWに定着した。同年のアジアカップ優勝では大会最優秀選手に選ばれた。
1993年10月のW杯アジア最終予選、通称「ドーハの悲劇」では、イラク戦でも得点を挙げたが、終了間際の失点でW杯出場を逃した。その後、1997年6月22日の1次予選マカオ戦では1試合6得点という代表記録をマークしたものの、最終予選の途中で調子を落とした。日本は同年のジョホールバルでW杯初出場を決めたが、1998年の直前合宿地スイスで、岡田武史監督(岡田氏の列伝)は最終メンバーからカズを外す決断をした(1998年W杯の総括)。本大会のピッチには立てなかったが、日本をW杯へ近づけた立役者の一人という評価は、今も多くのファンの間で語られている。代表通算は89試合55得点。
歴代最年長を更新し続ける現役生活
- 2017年3月、50歳で公式戦最年長出場・最年長得点の世界記録を更新
- 2020〜21年にはJ1の最年長出場記録を更新(2021年3月に54歳で出場)
- 2022年はJFLの鈴鹿ポイントゲッターズでプレー、同年のJFL最年長得点も記録
- 2023年にはポルトガル2部のオリヴェイレンセに期限付き移籍し、56歳で出場
- 2026年には福島ユナイテッドに期限付き移籍し、天皇杯でも最年長得点を更新したと報じられた
1980年代から2020年代まで、5つの年代でプロ選手としてプレーしたことになる。ブラジルで積んだ基礎と、Jリーグの初期を支えたスター性、そして年齢を超えて挑戦を続ける姿勢が、「キング・カズ」と呼ばれる所以である。