オランダ代表監督列伝(オランダ代表)

【監督列伝】エルンスト・ハッペル オーストリア人としてオランダ代表を1978年W杯準優勝に導いた名将

エルンスト・ハッペル氏は1925年11月29日、ウィーン生まれのオーストリア人。DFとして、ラピード・ウィーン、RCパリでプレーし、オーストリア代表としては51試合5得点、1954年のW杯で3位を経験した。

オランダ代表の監督を務めたのは、1977年から1978年のW杯までの期間。1978年のW杯では、決勝でアルゼンチンに延長で1-3と敗れて準優勝した(1978年W杯の総括)。クラブでは、フェイエノールトで1970年の欧州チャンピオンズカップとインターコンチネンタルカップを制し、ハンブルクSVでは1982、83年のブンデスリーガ優勝、1983年の欧州チャンピオンズカップ(ユヴェントスに勝利)を達成した。欧州チャンピオンズカップを2つの異なるクラブで制した、最初の監督である。オランダ代表を外国人が率いたのは、2026年のシャビ氏の就任まで、ハッペル氏が最後だった。1992年11月14日に逝去した。

ラピード・ウィーンの名DFとして

ハッペル氏は17歳でラピード・ウィーンのトップチームデビューを果たし、1943年から1954年、1956年から1959年まで通算14年間プレー。この間にオーストリア・リーグ優勝を6回(1945-46、47-48、50-51、51-52、53-54、56-57)経験し、1945-46シーズンにはカップも制した。1954-55、1955-56の2シーズンはフランスのRCパリでプレーした。1999年にはラピードの「世紀のチーム」に選ばれている。

代表では1947年9月にハンガリー戦でデビュー。1948年のロンドン五輪に出場し、1954年のスイスW杯で3位、1958年のスウェーデンW杯にも出場した。最後の代表戦は1958年9月のユーゴスラビア戦で、通算51試合5得点だった。

4か国でリーグ優勝した名将

指導者としては、1962年にADOデン・ハーグで監督としてのキャリアを始め、1967-68シーズンにKNVBカップを制した。その後フェイエノールトを率い、1969-70シーズンに欧州チャンピオンズカップ(決勝でセルティックを破る)、1970年にインターコンチネンタルカップ、1970-71シーズンにエールディヴィジ優勝を達成した。

クラブ・代表 主な実績
ADOデン・ハーグ 1967-68 KNVBカップ
フェイエノールト 1969-70 欧州チャンピオンズカップ、1970 インターコンチネンタルカップ、1970-71 リーグ優勝
クラブ・ブルッヘ ベルギー・リーグ3連覇(1975-76〜77-78)、1977-78 欧州チャンピオンズカップ準優勝
オランダ代表 1978年W杯準優勝
ハンブルクSV(1981〜87年) ブンデスリーガ2回(1981-82、82-83)、1982-83 欧州チャンピオンズカップ、1986-87 DFBポカール
スワロフスキー・チロル オーストリア・リーグ2回(1988-89、89-90)

オランダ、ベルギー、西ドイツ、オーストリアの4か国でリーグ優勝を果たしたことでも知られる。

1978年W杯と「2ポイント」の逸話

1978年のアルゼンチン大会では、クライフ氏(選手列伝はこちら)不在の中で代表を率いた。決勝の前に、寡黙なハッペル氏が選手に告げたのは「諸君、勝ち点2だ」という一言だけだったとされる(当時の勝ち点は勝利で2)。決勝は延長の末に1-3で敗れたが、外国人監督としては、1958年にスウェーデンを準優勝に導いたイングランド人のジョージ・レイナー氏と並ぶ、W杯史上最高の成績である。

オーストリアでの最期と遺産

1987年にオーストリアへ戻ってスワロフスキー・チロルを率い、1992年にはオーストリア代表の監督にも就任した。1992年11月、66歳で逝去。その後、ウィーンの国立競技場(プラーター・シュタディオン)は「エルンスト・ハッペル・シュタディオン」と改称された。逝去の4日後のドイツ戦(0-0)では、ハッペル氏の帽子がベンチに置かれていたという。欧州チャンピオンズカップを2クラブで制した最初の監督であり、その後の同様の例は、ヒッツフェルト氏、モウリーニョ氏、ハインケス氏、アンチェロッティ氏、グアルディオラ氏、ルイス・エンリケ氏の6人にとどまる。

出典: Wikipedia(英語版)ほか

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