【監督列伝】ヴァイッド・ハリルホジッチ 2018年W杯アジア最終予選を首位通過するも、本大会直前に解任
ヴァイッド・ハリルホジッチ氏は1952年5月15日、ボスニア生まれ。FWとして、ナント、パリ・サンジェルマンなどでプレーし、指導者として、コートジボワール代表、アルジェリア代表(2014年のW杯ベスト16)などを率いた。
日本代表の監督は、2015年3月に就任した。2018年のW杯アジア最終予選では、2017年8月にオーストラリアに勝ち、首位通過を決めた。しかし、2017年のE-1選手権で韓国に1-4と敗れ、2018年3月のベルギー遠征も振るわず、2018年4月に解任された。日本サッカー協会の田嶋会長は、「コミュニケーションや信頼関係が薄れていた」と説明した。日本を含む4つの代表チームをW杯本大会に導きながら、アルジェリア以外の3か国では本大会の直前に解任されている。後任には、西野朗氏(西野氏の列伝)が就任した。
選手時代:得点王に輝いたストライカー
ボスニアのヤブラニツァに生まれ、6人兄弟の4番目。14歳で電気工学を学ぶためにモスタルへ移り、兄の影響で地元のヴェレジ・モスタルのユースに加わった。1970年代を通じて同クラブの得点源となり、クラブで通算376試合253得点を記録している。1981年にフランスのナントへ移籍し、1982-83シーズンには27得点で得点王と、優勝に貢献。1984-85シーズンにも28得点で2度目の得点王となった。1986年にパリ・サンジェルマンへ移り、1987年に現役を引退した。旧ユーゴスラビア代表としては15試合に出場し、1982年のW杯に参加している。
指導者としての歩み
- 1997年:モロッコのラジャ・カサブランカでアフリカ・チャンピオンズリーグ優勝
- リール:2部から3年足らずでリーグ・アン3位まで引き上げる
- 2003-04シーズン:パリ・サンジェルマンでフランス杯優勝
- 2010年:コートジボワールをW杯に導く(本大会前に解任)
- 2011年:ディナモ・ザグレブでクロアチアリーグ優勝
- 2014年:アルジェリアをW杯ベスト16へ導く。アルジェリアの史上最高成績で、国民から英雄視された
この後、トルコのトラブゾンスポルを短期間率いて、2015年3月に日本代表の監督に就任した。フランス語圏ではない国の代表監督は初めてだった。
日本代表での挑戦
ハリルホジッチ氏は、縦に速い攻撃や、球際の「デュエル」を重視する、直接的で規律の厳しいスタイルを打ち出した。2018年ロシアW杯のアジア最終予選では、2017年8月にオーストラリアをホームで下して、W杯出場を決め、グループを首位で通過した。しかし、その後の試合内容や、選手との関係に課題が指摘され、2017年12月のE-1選手権では、韓国に1-4で敗れた。2018年3月のベルギー遠征も勝てず、W杯直前の2018年4月9日に解任が発表された。
W杯出場権を獲得しながら、大会直前に代表監督が交代した例は、他国にもあるが、日本にとっては初めてであり、日本サッカー界に大きな議論を呼んだ。西野朗氏の下で臨んだ2018年ロシアW杯では、ベスト16に進出した(2018年W杯の総括)。
評価と影響
日本代表を「世界基準の強度」へ引き上げようとした試みは、その後の代表強化の議論にも影響を与えた。ハリルホジッチ氏はその後、ナント、モロッコ代表などを率い、世界中の代表チームを渡り歩く指導者として、その名が知られている。