【選手列伝】クラレンス・セードルフ CLを3つの異なるクラブで制した唯一の選手
クラレンス・セードルフ氏は1976年4月1日、スリナムのパラマリボ生まれのMF。アヤックス(1992〜95年)、サンプドリア、レアル・マドリード(1996〜2000年)、インテル、ミラン(2002〜12年、300試合47得点)、ボタフォゴでプレーした。チャンピオンズリーグを、アヤックス(1995年)、レアル・マドリード(1998年)、ミラン(2003年、2007年)という3つの異なるクラブで制した、唯一の選手である。
オランダ代表では、1994年から2008年までに87試合11得点。欧州選手権1996年、2000年、2004年、W杯1998年に出場した(EURO 1996の総括、EURO 2000の総括、1998年W杯の総括)。2014年1月14日に現役引退を表明した。
スリナムからアルメールへ、アヤックスの神童
セードルフ氏はスリナムのパラマリボで生まれ、2歳のときにオランダへ移り、フレボラント州のアルメールで育った。地元のクラブで6歳から競技を始め、クライフ氏(選手列伝はこちら)が設立した育成発掘機関の目に留まり、アヤックスの下部組織へ。1992年、16歳でトップチームデビューを果たした。アヤックスではリーグ戦65試合11得点。1993-94、94-95シーズンのリーグ優勝、1992-93シーズンのKNVBカップ、そして1994-95シーズンのチャンピオンズリーグ制覇を経験した。
3つのクラブで欧州の頂点へ
| 期間 | クラブ | リーグ戦(出場-得点) | 主な実績 |
|---|---|---|---|
| 1992〜95年 | アヤックス | 65-11 | 1994-95にチャンピオンズリーグ制覇 |
| 1995〜96年 | サンプドリア | 32-3 | 初の国外挑戦 |
| 1996〜2000年 | レアル・マドリード | 121-15 | 1996-97にリーガ優勝、1997-98にチャンピオンズリーグ制覇、1998年インターコンチネンタルカップ |
| 2000〜02年 | インテル | 64-8 | ミラン移籍前の2シーズン |
| 2002〜12年 | ミラン | 300-47 | チャンピオンズリーグ2回(2002-03、2006-07)、セリエA2回(2003-04、2010-11) |
| 2012〜14年 | ボタフォゴ | 58-16 | 2013年カリオカ選手権優勝 |
アヤックス時代の1995年の優勝の後、当時のボスマン判決も追い風となってクラブを離れ、サンプドリアを経てレアル・マドリードへ。1998年のチャンピオンズリーグ決勝(ユヴェントス戦)を制した。2002年にはインテルからミランへ移り、ここで10年間を過ごした。2006-07シーズンにはUEFA最優秀MFに選出。2007年にはFIFAクラブW杯でも優勝し、同大会の最優秀選手2位にあたるシルバーボールを受賞した。
プレースタイルと評価
中盤のどの位置でもこなせる万能型で、体格に恵まれた身体を生かした力強いプレーに加え、正確なパス、ミドルシュート、豊富な運動量を兼ね備えていた。ミランでは中盤の底からトップ下まで幅広く任され、10年間の在籍で通算300試合47得点。レアル・マドリードの「世紀のチーム」(2008年)にも名を連ねた。2004年にはペレの選ぶ「FIFA 100」にも選出されている。
オランダ代表での歩み
- 1996年 EURO:準々決勝のフランス戦で、PK戦の最後にキックを外して敗退(EURO 1996の総括)
- 1998年 W杯:4位。準決勝のブラジル戦は1-1からのPK戦で敗れた(1998年W杯の総括)
- 2000年 EURO:自国共催でベスト4(EURO 2000の総括)
- 2004年 EURO:ベスト4(EURO 2004の総括)
代表に選ばれたのは1994年から2008年までの14年間で、通算87試合11得点。黄金世代の中心の一人でありながら、大きなタイトルには恵まれなかった。
ボタフォゴから指導者へ
2012年にミランを離れてブラジルのボタフォゴに移り、2年間で58試合16得点。2013年にはブラジルの専門誌が選ぶ年間ベストイレブン「ボーラ・デ・プラタ」にも選ばれた。2014年1月に現役を引退し、そのままミランの監督に就任。その後、中国の深圳FC(2016年)、デポルティーボ(2018年)を経て、2018〜19年にはカメルーン代表の監督を務めた。カメルーンでは、同じアヤックス出身のクライファート氏(選手列伝はこちら)がアシスタントを務めた。
出典: Wikipedia(英語版)ほか