【選手列伝】ヤープ・スタム マンチェスター・Uの3冠を支えた世界屈指のセンターバック
ヤープ・スタム氏は1972年7月17日、カンペン生まれのCB。ズヴォレ、カンビュール、ヴィレムII、PSV(1996〜98年)を経て、マンチェスター・ユナイテッド(1998〜2001年)に移籍し、1999年にプレミアリーグ、FAカップ、チャンピオンズリーグの3冠を達成。チャンピオンズリーグの最優秀ディフェンダーに1998-99、1999-2000シーズンと連続で選ばれた。その後、ラツィオ(2001〜04年)、ミラン(2004〜06年)、アヤックス(2006〜07年)でプレーし、2007年10月に引退した。
オランダ代表では、1996年から2004年までに67試合3得点。1998年のW杯、欧州選手権3大会に出場した(1998年W杯の総括、EURO 2000の総括)。2001年にはマンチェスター・Uからラツィオへ移籍した。
下部リーグから欧州最高峰のCBへ
スタム氏は地元の小さなアマチュアクラブDOSカンペンで育ち、1992年8月15日にFCズヴォレのトップチームでプロデビューを果たした。その後カンビュールに移籍したが、1年目でチームは降格。それでも、2部に降格したチームで力を示し、続くヴィレムIIでの1部リーグでの活躍が評価され、1996年にPSVへ移籍した。PSVではディック・アドフォカート監督(監督列伝はこちら)の下で1996-97シーズンのリーグ優勝を経験し、リーグ戦76試合12得点を記録。同年にオランダ年間最優秀選手に選ばれた。
マンチェスター・Uでの3冠
1998年、当時のDFとして史上最高額の1,060万ポンドでマンチェスター・ユナイテッドへ移籍。PSVは当初1,500万ポンドを提示していたが、スタム氏が自身の取り分の一部を放棄することで移籍が実現した。在籍3年間でプレミアリーグ優勝3回(1998-99、99-2000、2000-01)、FAカップ1回、チャンピオンズリーグ1回、インターコンチネンタルカップ1回を獲得。中でも1998-99シーズンは、プレミアリーグ、FAカップ、チャンピオンズリーグの3冠という、イングランド勢初の偉業に貢献した。プレミアリーグの年間ベストイレブンに3年連続(1998-99〜2000-01)で選出され、UEFAの年間最優秀ディフェンダーにも2度輝いた。屈強な体格と、相手FWに正面から競り勝つ対人の強さ、巧みなポジショニングで、当時の欧州最高のCBと評された。
イタリア時代とアヤックスへの帰還
| 期間 | クラブ | リーグ戦(出場-得点) | 主な実績 |
|---|---|---|---|
| 1992〜93年 | FCズヴォレ | 32-1 | プロデビュー |
| 1993〜95年 | カンビュール | 66-3 | 加入1年目にチームが降格 |
| 1995〜96年 | ヴィレムII | 19-1 | 1部リーグで評価を高める |
| 1996〜98年 | PSV | 76-12 | 1996-97にリーグ優勝 |
| 1998〜2001年 | マンチェスター・U | 79-1 | プレミアリーグ3回、3冠 |
| 2001〜04年 | ラツィオ | 70-3 | 2003-04にコッパ・イタリア優勝 |
| 2004〜06年 | ミラン | 42-1 | 2004年スーペルコッパ、2004-05のCL準優勝 |
| 2006〜07年 | アヤックス | 31-1 | 2006-07にKNVBカップ優勝 |
ラツィオでは3年間プレーし、2003-04シーズンにコッパ・イタリアを制覇。2004年にミランへ移り、2004-05シーズンにはチャンピオンズリーグ決勝まで勝ち進んだ。2006年にアヤックスへ復帰して国内カップを制し、2007年10月に引退を発表した。
オランダ代表での歩み
代表には1996年から2004年まで通算67試合(3得点)に出場した。1998年のW杯では守備の要として4位に貢献した(準決勝はブラジルと1-1からPK戦で敗れ、3位決定戦はクロアチアに1-2で敗れた)(1998年W杯の総括)。2000年の自国開催のEUROではベスト4に進出したが、準決勝のイタリア戦(0-0)後のPK戦で失敗するなど、悔しい結果となった(EURO 2000の総括)。
引退後の指導者としての歩み
引退後は指導者に転身し、PECズヴォレやアヤックスでコーチを務めた。2019年にはフェイエノールトの監督に就任し、その後アメリカMLSのFCシンシナティも率いた。世界的なDFとして、1990年代後半から2000年代初頭のプレミアリーグを代表する存在となり、今も当時の最強CBの一人として名前が挙がる。
出典: Wikipedia(英語版)ほか