オランダ代表監督列伝(オランダ代表)

【監督列伝】ディック・アドフォカート オランダ代表を3期率いた「小さな将軍」、EURO2004でベスト4

ディック・アドフォカート氏は1947年9月27日、ハーグ生まれ。ADOデン・ハーグ、ローダJCなどでプレーした後、監督となった。

オランダ代表の監督を3期務め、1992年9月から1994年12月(1994年W杯で準々決勝進出、1994年W杯の総括)、2002年2月から2004年6月(EURO 2004でベスト4、EURO 2004の総括)、2017年(W杯予選敗退)。クラブでは、PSVで1996-97シーズンのリーグ優勝、レンジャーズでリーグ2回・カップ2回、ゼニトで2007年のリーグ優勝と2007-08シーズンのUEFAカップ優勝など、多くのクラブで結果を残した。

ハーグ生まれの守備的MF

アドフォカート氏は守備的MFとして、18歳でADOデン・ハーグでプロ入りし、1967年5月21日のGVAV戦(3-0)でデビューした。同年夏にはアメリカ・プロリーグの企画により、ADOのチームがサンフランシスコ・ゴールデンゲート・ゲールズとして6週間プレーした経験もある。1968年にはKNVBカップを制し、これが選手時代の唯一のタイトルとなった。ADOでは通算147試合7得点。1973年にローダJCへ移り、121試合2得点。のちにVVVフェンロにもプレーし、その後、監督の道へ進んだ。愛称は「小さな将軍」で、師であるミケルス氏(監督列伝はこちら)にちなんだものだ。

代表監督第1期:1992〜94年

1990年からミケルス氏のアシスタントを務め、1992年のEUROを最後にミケルス氏が退くと、後任の代表監督となった。就任直後はイタリアとの親善試合とノルウェー戦で連敗したが、W杯予選では重要なイングランド戦に勝って本大会出場を決めた。予選中にはフリット氏(選手列伝はこちら)と戦術面で意見が食い違い、フリット氏が代表から離れる場面もあった。一時はクライフ氏(選手列伝はこちら)への交代が噂されたが、話し合いが決裂して留任した。

1994年のW杯ではグループ突破後、1回戦でアイルランドに2-0、準々決勝でブラジルに2-3で敗れた(1994年W杯の総括)。W杯後にクラブへ戻った。

クラブでの歩み

時期 クラブ 主な実績
1989〜90年 SVV エールステ・ディヴィジ(2部)優勝
1994〜98年 PSV 1995-96にKNVBカップ、1996-97にリーグ優勝
1998〜2001年 レンジャーズ スコットランド・リーグ2回(1998-99、99-2000)、スコティッシュカップ2回、リーグカップ1回
2006〜09年 ゼニト 2007年リーグ優勝、2007-08のUEFAカップとUEFAスーパーカップ

PSVでは、ロナウド氏ら南米の若手を擁し、ヤープ・スタム氏(選手列伝はこちら)を獲得して1996-97シーズンのリーグ優勝を果たした。ゼニトでの成功後は、サンクトペテルブルク市の名誉市民に選ばれ、同市が外国人にこの称号を贈るのは1866年以来だった。

代表監督第2期:2002〜04年

2002年1月、ファン・ハール氏(監督列伝はこちら)の後任として代表を再び率いた。EURO 2004予選ではチェコに次ぐ2位でプレーオフに回り、スコットランドに0-1で敗れた後、ホームで6-0と大勝して本大会へ進出。本大会はグループDで1勝1分1敗の2位。チェコ戦(2-3)で、活躍していたロッベン氏(選手列伝はこちら)を下げた采配が批判されたが、準々決勝でスウェーデンにPK戦で勝ち、準決勝ではポルトガルに1-2で敗れた(EURO 2004の総括)。大会後の2004年7月6日に辞任した。

代表監督第3期:2017年

2017年5月に3度目の就任。初戦のW杯予選ルクセンブルク戦は5-0で勝利した。アシスタントにはフリット氏が加わった。しかし、W杯予選で敗退し、11月の親善試合(スコットランド、ルーマニア)を最後に退任した。この2連勝で、通算37勝と、オランダ代表監督として歴代最多勝の記録を更新した。

国際的な監督として

アドフォカート氏は、オランダ代表以外にも、韓国、ベルギー、ロシア、セルビア、UAE、キュラソーなど、多くの代表チームを率いた国際派の指導者である。レンジャーズやゼニトのような他国のクラブでも結果を残した経験が、その評価の基盤になっている。

出典: Wikipedia(英語版)ほか

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です