オランダ代表監督列伝(オランダ代表)

【監督列伝】ルイス・ファン・ハール 代表を3期率いて2014年W杯3位、アヤックスとバルセロナでも黄金期を築いた

ルイス・ファン・ハール氏は1951年8月8日、アムステルダム生まれ。MFとして、アントワープ、テルスター、スパルタ・ロッテルダム、AZなどでプレーした。

オランダ代表の監督を3期務め、2000年9月から2002年1月(2002年W杯予選敗退で辞任)、2012年8月から2014年7月、2021年8月から2022年12月。2014年のW杯では3位となり、初戦でスペインに5-1と勝ち、準々決勝のコスタリカ戦でPK戦直前にGKクルル選手を投入する采配を見せた(2014年W杯の総括)。2022年のW杯では、準々決勝でアルゼンチンにPK戦で敗れた(2022年W杯の総括)。クラブでは、アヤックスで1994、95、96年のリーグ優勝と1994-95シーズンの欧州チャンピオンズリーグ優勝、バルセロナで1997-98、98-99年のリーグ優勝、AZで2008-09シーズンのリーグ優勝、バイエルンで2009-10シーズンの国内2冠、マンチェスター・ユナイテッドで2015-16シーズンのFAカップ優勝を果たした。

体育教師から指導者へ

ファン・ハール氏はアムステルダムで生まれ、少年時代は地元のアマチュアクラブRKSVデ・メールでプレーした。20歳でアヤックスのセカンドチームに入ったが、トップチームでの出場機会はなかった。その後、ベルギーのアントワープ、テルスター、スパルタ・ロッテルダム、AZを渡り歩きながら、体育教師としての資格も取得し、学校で教えつつセミプロとしてプレーしていた。AZでアシスタントコーチを経験したのち、アヤックスでレオ・ベーンハッカー監督のアシスタントを務め、1991年に監督に昇格した。

アヤックス黄金期(1991〜97年)

アヤックスでは、エールディヴィジを1993-94、94-95、95-96シーズンに制し、1994-95シーズンはリーグ戦を無敗で終えた。KNVBカップを1993年、UEFAカップを1992年に獲得。決勝でミランを破った1994-95シーズンのチャンピオンズリーグ優勝後は、UEFAスーパーカップ(レアル・サラゴサに合計5-1)、インターコンチネンタルカップ(グレミオにPK戦)も制した。1995-96シーズンにも決勝に進んだが、ユヴェントスにPK戦で敗れた。

この時代のアヤックスは、クライファート氏(選手列伝はこちら)、オーフェルマルス氏(選手列伝はこちら)、ダーヴィッツ氏(選手列伝はこちら)、セードルフ氏(選手列伝はこちら)、ライカールト氏(選手列伝はこちら)、ファン・デル・サール氏(選手列伝はこちら)、デ・ブール兄弟らを擁し、1990年代のオランダ代表の主力をほぼ独占するほどだった。ファン・ハール氏は若手を積極的に登用し、明確なポジション分担と組織的な連動を重視する哲学を植え付けた。1997年に契約満了でアヤックスを離れる際、オラニエ=ナッサウ勲章の騎士章を受けた。

クラブでの歩み

時期 クラブ 主な実績
1991〜97年 アヤックス リーグ3回、UEFAカップ、CL(1994-95)、インターコンチネンタルカップ
1997〜2000年 バルセロナ リーガ2回(1997-98、98-99)、コパ・デル・レイ
2005〜09年 AZ 2008-09リーグ優勝(クラブ2回目)
2009〜11年 バイエルン 2009-10にブンデスリーガとDFBポカール、CL準優勝
2014〜16年 マンチェスター・U 2015-16にFAカップ優勝

バルセロナでは、リーガを2連覇したが、メディアやクラブ首脳との関係で苦労も多かった。2000年5月に退任した。AZでは2008-09シーズンにクラブ史上2度目のリーグ優勝へ導き、バイエルンでは2009-10シーズンにブンデスリーガとDFBポカールの国内2冠に加えて、チャンピオンズリーグ決勝にも進んだ。

オランダ代表での3期

  • 第1期(2000〜02年):2002年W杯予選でアイルランドに敗れて本大会進出を逃し、2002年1月に退任
  • 第2期(2012〜14年):EURO 2012で3戦全敗した後を引き継ぎ(EURO 2012の総括)、W杯予選は10試合で9勝1分、34得点5失点。2014年W杯では初戦でスペインを5-1で破り、3-5-2の布陣を使った(2014年W杯の総括)。コスタリカ戦では、延長終了間際にGKクルル選手を投入してPK戦2本を止めさせ、準決勝でアルゼンチンにPK戦で敗れたが、3位決定戦でブラジルを3-0で下した
  • 第3期(2021〜22年):デ・ブール氏(監督列伝はこちら)の後任に就き、2022年W杯まで20試合無敗。W杯ではグループA首位、ラウンド16でアメリカに3-1、準々決勝でアルゼンチンにPK戦で敗れた(2022年W杯の総括)。大会後に退任し、監督業を引退した

采配の特徴と影響

厳格で権威的な指導スタイルから「鉄のチューリップ」と呼ばれることもあった。一方で、若手育成と選手との対話、明確な哲学の浸透には定評がある。その系譜は、元アシスタントのモウリーニョ氏や、教え子のグアルディオラ氏、ルイス・エンリケ氏らにも及ぶとされる。2014年のW杯で見せた3バック導入、コスタリカ戦のGK交代のような勝負勘は、柔軟な戦術眼の象徴として語り継がれている。

出典: Wikipedia(英語版)ほか

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