【選手列伝】フランク・ライカールト ミランとアヤックスでCL優勝、監督としてもバルセロナを欧州の頂点へ
フランク・ライカールト氏は1962年9月30日、アムステルダム生まれの守備的MF・DF。スリナム系のオランダ人で、アヤックス(1980〜87年)、ミラン(1988〜93年)、アヤックス(1993〜95年)でプレーした。ミランでは欧州チャンピオンズカップ(1988-89、1989-90)、アヤックスでは1994-95シーズンのチャンピオンズリーグを制している。
オランダ代表では、1981年から1994年までに73試合10得点。1988年の欧州選手権優勝を経験し、1990年と1994年のW杯にも出場した(EURO 1988の総括、1990年W杯の総括)。1995年に引退し、監督としてはバルセロナで、2005-06シーズンにチャンピオンズリーグを制した。
17歳でアヤックスのトップチームへ
ライカールト氏はアムステルダムで生まれ育ち、幼なじみのフリット氏(選手列伝はこちら)とともにサッカーに打ち込んだ。1980年8月23日、17歳でアヤックスのトップチームデビューを果たし、開幕戦のゴー・アヘッド・イーグルス戦(4-2)でいきなり得点を記録した。アヤックスの第1期(7年半)はリーグ戦205試合47得点で、リーグ優勝は1981-82、82-83、84-85シーズンの3回、KNVBカップは1982-83、85-86、86-87の3回。1986-87シーズンにはカップウィナーズカップでロコモティフ・ライプツィヒを1-0で下して欧州タイトルも手にした。1987年にアヤックスを離れ、ポルトガルのスポルティング、スペインのレアル・サラゴサ(貸与)を経て、1988年にミランへ移籍した。
ミランでの黄金期と1990年の決勝ゴール
ミランではアリーゴ・サッキ監督のもと、フリット氏、ファン・バステン氏(選手列伝はこちら)とともに「オランダ・トリオ」を形成した。守備的MFとしてピッチの中央に構え、相手の攻撃を摘み取るだけでなく、自ら前線に飛び出して得点にも絡める万能型で、1988-89、1989-90シーズンの欧州チャンピオンズカップ連覇に貢献した。1990年の決勝、ベンフィカ戦(1-0)では、決勝ゴールを自らのヘディングで決めている。同年のインターコンチネンタルカップでは最優秀選手に選ばれた。ミランではリーグ戦142試合16得点。セリエAは1991-92、1992-93シーズンに優勝し、1991-92シーズンにはセリエA最優秀選手の栄誉も受けた。
アヤックスへの復帰と有終の美
1993年にアヤックスへ復帰し、リーグ戦56試合12得点。ルイス・ファン・ハール監督(監督列伝はこちら)のもと、リーグ優勝を1993-94、1994-95シーズンに達成。1994-95シーズンはリーグ戦を無敗で終え、決勝でミランを1-0で破ってチャンピオンズリーグを制覇した。決勝で決勝ゴールを決めたのは18歳のクライファート氏(選手列伝はこちら)で、ライカールト氏は1995年にこの優勝を最後に現役を退いた。
オランダ代表での歩み
- 1988年 欧州選手権:優勝(EURO 1988の総括)
- 1990年 W杯:0勝3分1敗でベスト16敗退(1990年W杯の総括)
- 1992年 欧州選手権:準決勝でデンマークと2-2、86分に同点ゴール。PK戦で敗れた(EURO 1992の総括)
- 1994年 W杯:出場
代表通算73試合10得点。1981年から1994年まで、13年にわたって代表の主力として活躍した。
監督としてバルセロナで欧州の頂点へ
引退後は指導者に転じ、1998〜2000年にオランダ代表の監督を務めた。自国共催のEURO 2000では準決勝に進んだが、イタリア戦でPKを外し続けてPK戦の末に敗れ、大会後に退任した(EURO 2000の総括、監督編の列伝)。2001〜02年にスパルタ・ロッテルダムを率いた後、2003年からバルセロナの監督に就任。ロナウジーニョやエトーらを擁したチームで、2004-05、2005-06シーズンのリーグ連覇、2005、2006年のスーペルコパ、そして2005-06シーズンのチャンピオンズリーグ優勝を達成した。クラブにとって1992年以来の欧州制覇だった。2005-06シーズンにはUEFA年間最優秀監督にも選ばれている。その後、ガラタサライ(2009〜10年)、サウジアラビア代表(2011〜13年)も率いた。オランダ的な攻撃サッカーの継承者として、選手と監督の両方で欧州の頂点に立った数少ない人物である。
出典: Wikipedia(英語版)ほか