【監督列伝】フランク・ライカールト EURO2000で自国開催のオランダを準決勝に導き、バルセロナでCL優勝
フランク・ライカールト氏は、現役時代、ミランとアヤックスで欧州を制した名MFで(選手列伝はこちら)、指導者としては、オランダ代表の監督を1998年から2000年まで務めた。EURO 2000(自国開催)では、グループ3連勝、準々決勝でユーゴスラビアに6-1と大勝したが、準決勝でイタリアにPK戦で敗れ(この大会では、PKを何本も外して敗れた)、大会後に辞任した(EURO 2000の総括)。
クラブでは、バルセロナ(2003〜08年)を率い、2004-05、2005-06シーズンのリーグ優勝と、2005-06シーズンの欧州チャンピオンズリーグ優勝を達成した。ガラタサライ、サウジアラビア代表(2011〜13年)の監督も務めた。
代表監督就任の経緯
1998年のW杯後、ヒディンク監督(監督列伝はこちら)の退任を受けて、指導者経験が乏しいまま代表監督に就任した。現役時代の同僚だったニースケンス氏(選手列伝はこちら)ら、豊富な経験を持つスタッフの支えもあり、自国とベルギーの共催となるEURO 2000へ向けてチームを作り上げた。
EURO 2000:自国開催の夢と悪夢
- グループD第1戦:チェコに1-0
- 第2戦:デンマークに3-0
- 第3戦:フランスに3-2。3連勝で首位通過
- 準々決勝(6月25日、ロッテルダム):ユーゴスラビアに6-1。クライファート氏(選手列伝はこちら)がハットトリック
- 準決勝(6月29日、アムステルダム):イタリアと0-0、PK戦1-3で敗退
準決勝では、相手が退場で10人になったにもかかわらず、通常時間内に2本のPKを外す事態となった。デ・ブール氏のキックはGKトルドに止められ、クライファート氏のキックはポストに当たった。PK戦でもデ・ブール氏、スタム氏、ボスフェルト氏が外し、決勝進出を逃した。クライファート氏は5得点で得点王(ミロシェビッチ選手と同数)に輝いたが、優勝には届かなかった(EURO 2000の総括)。大会後、ライカールト氏は代表監督を退いた。
バルセロナでの黄金期(2003〜08年)
2001〜02年にスパルタ・ロッテルダムを指揮した後、2003年にバルセロナの監督に就任。ロナウジーニョ、エトー、デコらを擁したチームは、就任2年目の2004-05シーズンにリーガを制し、翌2005-06シーズンにはリーガ連覇と、スーペルコパ・デ・エスパーニャ(2005、2006年)、そしてチャンピオンズリーグ優勝を達成した。チャンピオンズリーグはクラブにとって1992年以来の欧州制覇であり、同年のUEFA年間最優秀監督、ドン・バロン誌の年間最優秀監督(2004-05、2005-06)に選ばれた。2006年のFIFAクラブW杯では決勝で敗れて準優勝となった。バルセロナでは2008年まで指揮を執った。
| 時期 | チーム | 主な実績 |
|---|---|---|
| 1998〜2000年 | オランダ代表 | EURO 2000ベスト4 |
| 2001〜02年 | スパルタ・ロッテルダム | クラブ監督としての第一歩 |
| 2003〜08年 | バルセロナ | リーガ2回、CL(2005-06)、スーペルコパ2回 |
| 2009〜10年 | ガラタサライ | トルコで指揮 |
| 2011〜13年 | サウジアラビア代表 | 代表監督 |
評価
選手として3回の欧州制覇を経験したライカールト氏は、監督としても欧州の頂点に立った、数少ない人物の一人である。攻撃的なサッカーと選手の個性を生かすマネジメントで、ミケルス氏(監督列伝はこちら)、クライフ氏(選手列伝はこちら)から続く系譜を体現した存在といえる。
出典: Wikipedia(英語版)ほか