オランダ代表監督列伝(オランダ代表)

【監督列伝】リヌス・ミケルス トータルフットボールの生みの親、EURO1988でオランダを初優勝に導いた「将軍」

リヌス・ミケルス氏は1928年2月9日、アムステルダム生まれ。現役時代はアヤックス一筋(1946〜58年)で、リーグ戦264試合122得点を記録し、優勝を2度(1946-47、1956-57)経験。背中の負傷で現役を退いた後、指導者として名を残した。オランダ代表としては5試合に出場した。

アヤックスの監督(1965〜71年)として、リーグ優勝4回、1970-71シーズンの欧州チャンピオンズカップ優勝を成し遂げ、バルセロナ(1971〜75年、1973-74シーズンにリーグ優勝)、1.FCケルン(1982-83年、DFBポカール優勝)でも結果を残した。オランダ代表の監督は複数回務め、1974年のW杯で準優勝(1974年W杯の総括)、1988年の欧州選手権で初優勝(EURO 1988の総括)、1992年の欧州選手権でベスト4(EURO 1992の総括)に導いた。1999年にFIFAの「20世紀最優秀監督」に選ばれ、2005年3月3日に逝去した。

選手時代:9歳の誕生日にもらったスパイクから

ミケルス氏はアムステルダムで生まれ育ち、9歳の誕生日に手にしたスパイクとアヤックスのユニフォームをきっかけにサッカーに打ち込み、1940年に同クラブのジュニアメンバーとなった。第二次世界大戦の影響で一時キャリアは中断されたが、1946年6月、負傷した選手の代役としてトップチームに招かれ、デビュー戦のADO戦(8-3)でいきなり5得点を挙げた。力強さとヘディングの強さを持ち味とするFWで、代表では1950年から1954年にかけて5試合に出場。ただし、5試合はすべて敗戦だった。

アヤックスをトータルフットボールで変革

1965年、アヤックスの監督に就任。当時は降格候補とも言われていたチームを、6年間でリーグ優勝4回(1965-66〜69-70の間)、KNVBカップ3回を勝ち取る強豪に変えた。1969年には初めて欧州チャンピオンズカップ決勝に進み、ミランに1-4で敗れたが、1971年に優勝を遂げ、その後3連覇の礎を築いた。

その戦術の核が「トータルフットボール」だ。基本は流動的な4-3-3で、選手が状況に応じてポジションを入れ替え、ボールを失えばすぐに前線から圧力をかけて奪い返す。最前線のクライフ氏(選手列伝はこちら)は、センターフォワードでありながら自由に動き回り、他の選手がその空いた位置を埋めた。オフサイドトラップも積極的に使い、空間を作り出し、また奪う「スペースの使い方」を重視した点が革新的とされる。イタリアの守備的な「カテナチオ」に対する、攻撃的サッカーの勝利の象徴でもあった。

バルセロナ、そして代表へ

期間 チーム 主な実績
1965〜71年 アヤックス リーグ4回、KNVBカップ3回、1971年チャンピオンズカップ
1971〜75年 バルセロナ 1973年にクライフ氏を獲得、1973-74シーズンにリーグ優勝
1974年 オランダ代表 W杯準優勝
1975〜76年 アヤックス 再登板
1976〜78年 バルセロナ 再登板
1979〜80年 LAアズテックス 米国で指揮
1980〜83年 1.FCケルン 1982-83シーズンにDFBポカール優勝
1984〜85年、1986〜88年 オランダ代表 1988年にEURO優勝
1988〜89年 バイヤー・レバークーゼン クラブ指導者としての最終章
1990〜92年 オランダ代表 EURO 1992ベスト4

1974年W杯と1988年EURO

1974年のW杯には、予選突破後に代表監督として指揮を執った。初戦は3月のオーストリア戦(1-1)。本大会ではアルゼンチンに4-0、ブラジルに2-0で勝ち、6試合で14得点1失点という圧倒的な内容で決勝に進出。決勝は先制しながら西ドイツに1-2で逆転され、初の世界一を逃した(1974年W杯の総括)。

そして1988年のEUROでは、フリット氏(選手列伝はこちら)、ファン・バステン氏(選手列伝はこちら)、ライカールト氏(選手列伝はこちら)、クーマン氏(選手列伝はこちら)らを率いて初戦のソ連戦に0-1で敗れたが、イングランド、アイルランドに勝って準決勝へ。準決勝の西ドイツ戦(2-1)は、1974年の雪辱として特別な意味を持ち、ミケルス氏は試合後に「大会には優勝したが、本当の決勝は準決勝だった」と語ったと伝えられる。決勝ではソ連を2-0で下し、オランダ代表にとって唯一の主要タイトルをもたらした(EURO 1988の総括)。

評価と影響

ミケルス氏は、1999年にFIFAの「20世紀最優秀監督」、2019年にはフランス・フットボール誌の「サッカー史上最高の監督」に選ばれている。その哲学は、クライフ氏を通じてバルセロナに受け継がれ、グアルディオラ氏らにも大きな影響を与えた。ファン・ハール氏(監督列伝はこちら)、アドフォカート氏(監督列伝はこちら)など、多くの指導者が「ミケルス学校」の系譜に連なる。

出典: Wikipedia(英語版)ほか

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