【監督列伝】フース・ヒディンク オランダ代表を1998年W杯4位に導き、韓国代表でも2002年W杯4位の名将
フース・ヒディンク氏は1946年11月8日、ヘルダーラント州ヴァルスフェルト生まれ。MFとして、デ・フラーフスハップ、PSV、NECなどでプレーした。
オランダ代表の監督は、1995年1月から1998年7月、2014年8月から2015年6月の2期。EURO 1996はベスト8(準々決勝でフランスにPK戦負け)で、ダーヴィッツ選手を帰国させる騒動もあった(EURO 1996の総括)。1998年のW杯では4位に入り、準々決勝のアルゼンチン戦は、ベルカンプ選手の決勝ゴールで勝った(1998年W杯の総括)。クラブでは、PSVで1987-88シーズンの欧州チャンピオンズカップ(三冠)、レアル・マドリードで1998年のインターコンチネンタルカップ、チェルシーで2008-09シーズンのFAカップ優勝。韓国代表を率いた2002年のW杯では4位、ロシア代表を率いたEURO 2008ではベスト4に進んだ(EURO 2008の総括、ロシアはオランダをベスト8で下した)。
選手時代とPSVでの監督デビュー
ヒディンク氏はヴァルスフェルトのアマチュアクラブで育ち、1967年にデ・フラーフスハップでプロ入り。1970年にPSVへ加わったが定位置は得られず(リーグ戦30試合1得点)、1972年にデ・フラーフスハップへ戻って1977年まで在籍。その後NEC(1977〜81年)でプレーし、1981年に再びデ・フラーフスハップへ復帰して、翌1982年に現役を引退した。現役時代は主にMFだった。
引退後は1983年からPSVのアシスタントを務め、1987年3月に監督へ昇格。就任当時、首位アヤックスとの勝ち点差が3あったが、残り10試合で逆転して優勝を果たした。そして1987-88シーズンには、国内リーグ、カップ、欧州チャンピオンズカップの三冠を達成。クラブ初の欧州制覇でもあり、PSVをアヤックス、フェイエノールトに並ぶ「オランダ3強」の地位に押し上げた。この時のPSVには、クーマン氏(選手列伝はこちら)らが在籍していた。
オランダ代表での第1期:1995〜98年
1995年1月に代表監督に就任。当時のチームは黄金世代の才能が集まる一方で、内部の対立が絶えなかった。ヒディンク氏は4-4-2を基本に、サイドのウインガーと中央のMFで構成し、ダーヴィッツ氏(選手列伝はこちら)、コクー氏ら中盤の選手にも得点を求めた。
- EURO 1996:グループ最終戦でイングランドに1-4と大敗するも、得点数の差で準々決勝へ。準々決勝はフランスと0-0からPK戦で敗れた(EURO 1996の総括)
- 1998年W杯:グループEを首位で通過、決勝トーナメント1回戦でユーゴスラビアに2-1、準々決勝でアルゼンチンに2-1(ベルカンプ氏の決勝ゴール)、準決勝はブラジルと1-1からPK戦で敗れて4位(1998年W杯の総括)
1998年大会では内部の対立を抑え、攻撃的で見応えのあるサッカーで評価を高めた。大会後に代表を退任し、レアル・マドリードの監督に就任した。
クラブと各国代表での挑戦
| 時期 | チーム | 主な実績 |
|---|---|---|
| 1987〜90年、2002〜06年 | PSV | 1987-88に三冠(欧州チャンピオンズカップ) |
| 1998〜99年 | レアル・マドリード | 1998年インターコンチネンタルカップ |
| 2001〜02年 | 韓国代表 | 2002年W杯で4位 |
| 2005〜06年 | オーストラリア代表 | 2006年W杯でベスト16 |
| 2006〜10年 | ロシア代表 | EURO 2008でベスト4 |
| 2009年 | チェルシー(暫定) | 2008-09のFAカップ優勝 |
| 2014〜15年 | オランダ代表(第2期) | EURO 2016予選の途中で退任 |
韓国代表では2001年1月に就任。2002年の日韓W杯ではポーランドに2-0で初勝利し、アメリカと1-1、ポルトガルに1-0でグループを突破。ラウンド16ではイタリアを延長のゴールデンゴールで2-1、準々決勝ではスペインをPK戦で下し、準決勝でドイツに0-1で敗れ、3位決定戦ではトルコに2-3で敗れて4位だった。アジア勢として過去最高の成績である。ロシア代表としては、2008年のEUROでオランダを準々決勝で破り、準決勝に進出した。2009年2月には、解任されたスコラーリ監督の後任としてチェルシーを暫定的に率い、FAカップ優勝に導いた。
オランダ代表への復帰と評価
2014年のW杯後、ファン・ハール氏(監督列伝はこちら)の後任として代表監督に復帰。EURO 2016予選で苦戦し、2015年6月に退任した。前後の任期を通じて、4-4-2の堅実な戦術と、選手との距離感を保った采配で知られ、異なる国のチームを短期間で立て直す手腕には定評がある。
出典: Wikipedia(英語版)ほか