【監督列伝】加茂周 日本人初のプロ監督、「ゾーンプレス」で知られた1998年W杯予選の途中解任
加茂周氏は1939年10月29日、兵庫県芦屋市生まれ。関西学院大学、ヤンマーでプレーしたFWで、指導者としては、日産自動車、横浜フリューゲルスを率い、フリューゲルスでは1993年の天皇杯を制した。「ゾーンプレス」の戦術でも知られる。
日本代表の監督は、1994年12月に就任し、1997年10月まで務めた。1996年のアジアカップでは、グループを3連勝で首位通過したが、準々決勝でクウェートに0-2で敗れた(1996年アジアカップの総括)。1998年W杯のアジア最終予選では、韓国に1-2で敗れ、カザフスタンと1-1で引き分けた後、現地で更迭され、後任に岡田武史氏が昇格した。予選の途中で代表監督が解任されたのは史上初。2017年に日本サッカー殿堂に選ばれた。
選手としては控えめ、指導者として頭角
高校でサッカーを始めた遅咲きの選手で、関西学院大学では「最後までレギュラーになれなかった」と自ら語っている。1964年にヤンマーディーゼル(現セレッソ大阪)へ入団し、日本サッカーリーグでは14試合1得点を記録した。1967年に指導者へ転じ、1969年にはクラマー氏のFIFAコーチングスクールを受講した。ヤンマーではコーチとして、釜本邦茂氏(釜本氏の列伝)らを擁するチームの1972年のJSL初優勝を支えた。
日産自動車での成功
1974年、日本人指導者として初めてプロ契約の監督として日産自動車サッカー部(現・横浜F・マリノス)の監督に就任した。神奈川県リーグにいた新興クラブを、1979年にJSL1部へ引き上げ、常勝軍団に育てている。木村和司氏をMFへ、ロペス氏をFWへ配置転換して能力を引き出すなど、適材適所を見抜く目にも定評があった。1988-89シーズンにはJSL、天皇杯、JSLカップの三冠を達成し、天皇杯は1983年、1985年、1988年に制した。
ゾーンプレスと横浜フリューゲルス
1991-92シーズンから全日空サッカークラブ(のち横浜フリューゲルス)の監督となり、コンパクトな陣形で相手に圧力をかける戦術を目指した。スロベニア人コーチ、ズデンコ・ベルデニック氏の発案をもとに、加茂氏が「ゾーンプレス」と名付けたこの戦術は、当時のACミランの影響も受けたものだった。1994年1月の天皇杯決勝では、鹿島を延長で破って優勝を果たしている(1993年度大会)。
日本代表監督としての3年間
前任のファルカン監督の時代に「コミュニケーション不足」が問題になったことから、日本人の加茂氏に白羽の矢が立った。ゾーンプレスで追い込んで素早く攻撃に転じるサッカーを目指し、当初はラモス瑠偉氏ら経験豊富な選手を中心に、徐々に若手へ入れ替えた。1995年11月の契約満了時には、協会内に反対意見もあったが、長沼健会長(長沼氏の列伝)が続投を決めた。1996年のアジアカップは準々決勝で敗退。1997年秋のW杯アジア最終予選では、初戦のウズベキスタン戦で勝利したが、続くUAE戦は0-0、韓国戦は1-0とリードしながら1-2で逆転負けを喫した。10月4日のカザフスタン戦で終了間際に失点して引き分けたことから、現地で更迭され、コーチだった岡田武史氏(岡田氏の列伝)が監督に昇格し、ジョホールバルで日本初のW杯出場を決めることになる(1998年W杯の総括)。代表監督としての通算成績は51試合26勝12分13敗と記録されている。
その後
1999年から京都パープルサンガの監督を務め、2001年以降は尚美学園大学、大阪学院大学、母校の関西学院大学で指導した。関学大では2009年に11年ぶりの関西学生リーグ優勝に導いている。ゾーンプレスを日本に広めた先駆者であり、2017年の日本サッカー殿堂入りにふさわしい功績を残した。