日本代表監督列伝(日本代表)

【監督列伝】アルベルト・ザッケローニ 2011年アジアカップで史上最多の4度目の優勝

アルベルト・ザッケローニ氏は1953年4月1日、イタリア・メルドラ生まれ。選手としては、アマチュア止まりだったが、ミランを指揮して1998-99シーズンのスクデットを獲得するなど、イタリアの名門を率いた。

日本代表の監督は、2010年に就任し、2014年のW杯まで務めた。55試合30勝12分13敗(Aマッチ)。2011年のアジアカップ(カタール)では、決勝で延長の李忠成選手のボレーにより、オーストラリアに1-0で勝ち、史上最多の4度目の優勝(2011年アジアカップの総括)。2013年のコンフェデレーションズカップでは、イタリアに3-4の打ち合いで敗れるなど、3戦全敗(2013年コンフェデの総括)。2014年のW杯では、コートジボワールに1-2、ギリシャに0-0、コロンビアに1-4でグループ敗退した(2014年W杯の総括)。2024年に日本サッカー殿堂に選ばれた。

ペンションの息子から指導者へ

イタリア北部ロマーニャ地方のメルドラに生まれ、近隣のチェゼナーティコで育った。両親はペンションを営み、父はインテルのファンだったという。選手としては、サイドバックとしてプレーしたが、若い頃に病気や怪我で長く離れ、20歳を前に引退した。家業を手伝いながら幼年チームの指導を続け、1983年、30歳でセリエC2のチェゼナーティコの監督に就任。下部リーグで実績を積み、その後、ウディネーゼ、ミラン、ラツィオ、インテル、トリノ、ユヴェントスを指揮した。ミラン、インテル、ユヴェントスの「ビッグ3」すべてを率いた監督は、トラパットーニ氏とザッケローニ氏の2人だけとされる。

3-4-3の攻撃サッカーとミランでの優勝

守備的なイタリアの伝統(カテナチオ)とは対照的に、3-4-3を基本とした攻撃的なサッカーを好む。1995年から率いたウディネーゼでは、ビアホフ選手(1997-98シーズンに得点王)らの3トップで旋風を巻き起こし、1997-98シーズンを3位で終えた。この実績が評価されて、1998年にACミランの監督に就任し、ビアホフ選手らを連れて、就任初年度にスクデットを獲得した。しかし翌シーズン以降は、3-4-3にこだわってベルルスコーニ会長と対立し、2000-01シーズン途中に退任している。

日本代表監督:4年間の歩み

  • 2010年10月:就任後最初の試合、アルゼンチンを1-0で破る(日本代表初勝利)。岡崎慎司選手のゴール
  • 2011年1月:アジアカップ(カタール)で優勝。決勝ではオーストラリアを延長で1-0(李忠成選手のボレー)
  • 2011〜13年:W杯アジア予選を突破。2013年6月、オーストラリアと1-1で引き分け、開催国ブラジルを除いて最初に本大会出場を決めた
  • 2013年6月:コンフェデレーションズカップは、ブラジルに0-3、イタリアに3-4、メキシコに1-2で3戦全敗
  • 2014年6月:ブラジルW杯で1分2敗のグループ敗退

ザッケローニ氏は、就任後の1年間は無敗を続け(16試合)、国際的な評価も高まった。攻撃では本田圭佑氏(本田氏の列伝)、香川真司氏(香川氏の列伝)、岡崎慎司氏(岡崎氏の列伝)らを軸に、ポゼッションと攻撃的なサッカーを目指した。選手を信頼し、情報管理を徹底する姿勢は、日本サッカー協会からも評価されている。

評価と影響

アジアカップでは、ザッケローニ氏にとって国際大会で初めてのタイトルとなった。一方、W杯本大会では、守備の脆さと選手層の課題が指摘された(2014年W杯の総括)。「攻撃的」を標榜したスタイルは、後の日本代表が世界と戦う際の議論に、大きな影響を与えた。

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