【選手列伝】本田圭佑 W杯3大会連続でゴール、日本代表98試合
本田圭佑選手は1986年6月13日生まれのMF。名古屋グランパス(2005〜07年)から、オランダのVVVフェンロ(2008〜09年)、ロシアのCSKAモスクワ(2010〜13年)、ミラン(2014〜17年)などでプレーし、CSKAでは2012-13シーズンにロシア・プレミアリーグ優勝を経験した。
日本代表では98試合に出場。W杯には2010年、2014年、2018年の3大会に出場し、いずれも得点を決めた(2010年はカメルーン戦の決勝点、2014年はコートジボワール戦、2018年はセネガル戦)。詳しくは2010年・2014年・2018年の総括を参照。2011年のアジアカップでは優勝と大会最優秀選手に輝き(2011年アジアカップの総括)、2018年から2023年まではカンボジア代表の監督も務めた。
名古屋から欧州へ
大阪府摂津市出身で、ガンバ大阪のジュニアユースに所属したものの、ユースへ昇格できなかった経験を持つ。星稜高校在学中の2004年に指定選手としてJリーグカップに出場し、卒業後の2005年に名古屋グランパスエイトへ入団した。2008年1月にオランダのVVVフェンロへ移籍したが、加入直後にチームは2部へ降格。それでも翌2008-09シーズンに36試合16得点を挙げてチームを1部復帰に導き、ファンからは「ケイザー(皇帝)ケイスケ」と呼ばれた。
CSKAモスクワとミラン
2010年初頭にCSKAモスクワへ移り、同年のチャンピオンズリーグ・セビージャ戦で直接FKを決めて決勝トーナメント1回戦を突破。日本人選手として初めて同大会の決勝トーナメントで得点を挙げ、ベスト8進出に貢献した。ロシアカップは2010-11、2012-13に優勝し、2012-13にはリーグとの二冠を達成している。2013年夏のロシア・スーパーカップではCSKAの3点のうち2点を決めた。
2014年1月にミランへ移籍して10番を背負い、2016年にはスーペルコッパ・イタリアーナ優勝を経験した。2017年5月のボローニャ戦では直接FKで決勝点を挙げ、チームのヨーロッパリーグ出場権獲得に貢献している。その後はメキシコのパチューカ、オーストラリアのメルボルン・ヴィクトリー、オランダのフィテッセ、ブラジルのボタフォゴなどを経て、2021年にはアゼルバイジャンのネフチにも所属してリーグ優勝を経験した。2024年にはブータンのパロでプレーし、リーグ優勝を果たしたほか、2026年にはシンガポールのジュロンへの加入が報じられるなど、選手・指導者として世界各地を渡り歩いている。アジア、アフリカ、欧州、北米、オセアニア、南米の6大陸すべてで得点したことが記録されている。
日本代表での主な場面
- 2008年6月:W杯予選のバーレーン戦で代表デビュー。2009年5月のチリ戦で初ゴール
- 2010年W杯:初戦のカメルーン戦で松井大輔選手のクロスを決めて1-0。日本が海外のW杯で初めて挙げた勝利で、FIFA選出のマン・オブ・ザ・マッチ。デンマーク戦では約30メートルの直接FKを決め、岡崎慎司選手の得点も演出した
- 2011年アジアカップ:準決勝の韓国戦ではPKを止められたが、PK戦で成功。決勝も含め日本の優勝に貢献し、大会MVP
- 2013年:W杯予選のオーストラリア戦でPKを決めて1-1とし、日本のW杯出場権を最初に確定させた。同年のコンフェデ杯ではイタリア戦(3-4)でPKを決めた(2013年コンフェデの総括)
- 2014年W杯:コートジボワール戦で先制点。日本はグループ敗退
- 2018年W杯:セネガル戦でゴール。ベスト16進出に貢献
プレースタイルと評価
左足のキック精度とフィジカルの強さを生かし、右サイドでも中央でも、ゴールに近い位置でも起点となれる万能型。2010年W杯ではトップ下、あるいは1トップとして相手の守備を引きつける動きが評価された。個性の強い発信力や高い目標設定でも知られ、日本代表の顔として世界の舞台で存在感を示し続けた選手である。