【選手列伝】長谷部誠 W杯3大会で主将、フランクフルトで10年プレーした「キャプテン」
長谷部誠氏は1984年1月18日、静岡県藤枝市生まれの守備的MF・CB。浦和レッズ(2002〜07年)からヴォルフスブルク(2008〜13年)に移籍し、2008-09シーズンにはブンデスリーガ優勝を経験した。その後ニュルンベルク(2013〜14年)を経て、フランクフルト(2014〜24年)で10年間プレーし、2017-18シーズンのDFBポカール、2021-22シーズンのヨーロッパリーグ優勝に貢献した。
日本代表では114試合に出場し、2010年、2014年、2018年のW杯でキャプテンを務めた(2010年・2014年・2018年の総括)。アジアカップは2011年の優勝を経験(2011年アジアカップの総括)。2018年W杯のベルギー戦の後に代表を引退し、2024年5月24日に現役引退を発表した。引退後はフランクフルトIIのコーチや、日本代表のコーチを務めている。
浦和での成長
藤枝東高校から2002年に浦和レッズへ加入し、2003年から鈴木啓太氏とともにボランチとして主力に定着した。2004年にはJリーグベストイレブンとナビスコカップ(当時)のニューヒーロー賞を受賞している。チームは2006年にクラブ史上初のJ1優勝を果たし、2007年にはアジア・チャンピオンズリーグを制した。天皇杯も2005年、2006年に優勝しており、浦和の黄金期を支えた一人である。
ドイツでの16年間
2008年1月にヴォルフスブルクへ移籍し、同クラブに所属した初の日本人選手となった。加入2年目の2008-09シーズンには、クラブ初のブンデスリーガ優勝を経験している(日本人選手の優勝は奥寺康彦氏に次ぐ2人目)。2011年12月にはブンデスリーガ通算100試合目を迎えた。2013年にニュルンベルクへ移り、降格後の2014年にフランクフルトへ加入した。
フランクフルトではすぐに主力となり、当初はMFとしてプレーしていたが、ニコ・コバチ監督の下で2016年秋から5バックの中央(センターバック)へ転向。以後は最終ラインの統率役となった。2017-18シーズンにはバイエルン・ミュンヘンを3-1で破ってDFBポカールを制し、クラブに30年ぶりのタイトルをもたらした。2018-19シーズンにはヨーロッパリーグで準決勝に進み、チェルシーとPK戦の末に敗れたが、全試合でフル出場した。2020年6月には通算309試合目で、車範根氏を抜いてブンデスリーガでプレーしたアジア人選手の最多出場記録を更新した。
2022年5月、ヨーロッパリーグ決勝でレンジャーズをPK戦で破った試合に途中出場して優勝。2024年1月には40歳を迎え、ブンデスリーガ史上5人目の40歳でのプレーとなった。4月に引退を発表し、5月のライプツィヒ戦で最後の試合を迎えた。ブンデスリーガ通算は約380試合で、非ドイツ人選手として歴代3位にあたる。
代表キャプテンとして
- 2006年2月:ジーコ監督の下でアメリカ戦にて代表デビュー
- 2010年:南アフリカW杯で全4試合に出場し、キャプテンとしてベスト16に貢献
- 2011年:アジアカップで6試合すべてに出場し、シリア戦でゴール。決勝のオーストラリア戦にも先発し、キャプテンとして優勝を経験
- 2014年:ブラジルW杯にキャプテンとして出場。グループリーグ敗退
- 2015年:アジアカップの全4試合にフル出場(2015年アジアカップの総括)
- 2018年:ロシアW杯でキャプテンを務め、決勝トーナメント進出。ベルギー戦後に代表引退
2018年にはAFCアジア国際選手賞も受賞。守備的な位置から試合をコントロールし、チームの精神的支柱でもあった。その姿勢は、ザッケローニ監督(ザッケローニ氏の列伝)、西野監督(西野氏の列伝)と歴代の指揮官から信頼を集めた。引退後は指導者の道に進み、日本サッカーの次世代に経験を伝えている。