【選手列伝】香川真司 ドルトムント連覇の立役者、マンチェスター・Uでプレミア優勝
香川真司選手は1989年3月17日、神戸市生まれのMF。セレッソ大阪(2007〜10年)でJ2得点王に輝いた後、ドルトムント(2010〜12年)に移籍し、ブンデスリーガ連覇(2010-11、2011-12)とDFBポカール優勝(2011-12)に貢献した。その後マンチェスター・ユナイテッド(2012〜14年)でプレミアリーグ優勝(2012-13)を経験し、2013年3月2日にはアジア人選手として初めてプレミアリーグでハットトリックを達成した。
ドルトムントに戻り(2014〜19年)、ベシクタシュ、サラゴサ、PAOK、シント=トロイデンを経て、2023年にセレッソ大阪へ復帰した。日本代表では97試合31得点。2010年W杯は落選し、2014年W杯に出場(2014年W杯の総括)。アジアカップは2011年の優勝を経験した(2011年アジアカップの総括)。
少年時代とセレッソでの飛躍
神戸市に生まれ、5歳でサッカーを始めた。神戸のクラブを経て、仙台のFCみやぎバルセロナで中学時代を過ごし、17歳の時にセレッソ大阪と高校在学中にプロ契約を結んだ。高校の部活動や下部組織を経由しない形での契約は、当時としては異例だった。2007年から定位置を確保すると、2009年にはJ2で得点王とアシスト王に並んで輝き、Jリーグ史上初めて、MFとしてリーグ得点王のタイトルを手にした。同年、乾貴士選手との連係でチームの攻撃を牽引している。
ドルトムントでの連覇
2010年夏、契約に含まれた低額の違約金条項を使い、約35万ユーロでドルトムントへ移籍した。ブンデスリーガ初挑戦の1年目からシャルケとのルール・ダービーで2得点を挙げるなど活躍し、リーグ前半戦から存在感を示した。日本代表の試合で負傷して後半戦を欠場したが、チームは優勝し、香川選手もリーグのベストイレブンに選出された。
2011-12シーズンは13得点12アシストを記録し、ドルトムントはリーグ最多となる勝ち点81でリーグ連覇。DFBポカール決勝のバイエルン戦では、1得点1アシストの活躍で二冠に貢献した(クロップ監督時代の黄金期)。
マンチェスター・ユナイテッドと復帰後
2012年6月、日本人として初めてマンチェスター・ユナイテッドへ移籍した。リーグ開幕2戦目のフラム戦で初ゴールを決めると、2013年3月のノリッジ戦(4-0)ではハットトリックを達成。アストン・ヴィラ戦で優勝が決まり、日本人選手として初めてプレミアリーグ優勝を経験した。ファーガソン監督のラストマッチとなったスウォンジー戦で、優勝メダルを受け取った。
2014年8月にドルトムントへ復帰し、2016-17シーズンにはDFBポカールを制した。その後は出場機会を求め、ベシクタシュ(トルコ)、サラゴサ(スペイン)、PAOK(ギリシャ、ギリシャカップ優勝)、シント=トロイデン(ベルギー)と移り、2023年1月にセレッソ大阪へ復帰した。復帰初先発の試合でゴールを決め、2025年開幕のダービーでも1得点1アシストを記録している。UEFAの大会における日本人選手の最多出場・最多得点記録を保持する。
日本代表での歩み
- 2007年:U-20W杯(カナダ)に出場。2008年北京五輪のU-23代表にも選出
- 2008年5月24日:コートジボワール戦で代表デビュー
- 2010年:W杯の最終メンバーからは外れたが、9月のパラグアイ戦で決勝点
- 2011年アジアカップ:準々決勝のカタール戦で2得点。準決勝の韓国戦で負傷し、決勝は欠場したが優勝メンバーとなる
- 2013年:コンフェデ杯のイタリア戦でゴール(3-4で敗戦)(2013年コンフェデの総括)
- 2014年:ブラジルW杯に出場したが、グループリーグ敗退の中で持ち味を出し切れなかった
- 2015年:アジアカップ(2015年アジアカップの総括)でヨルダン戦のゴール。準々決勝UAE戦ではPK戦で失敗した
- 2018年:ロシアW杯のコロンビア戦で、開始6分にPKを決めて2-1の勝利に貢献(2018年W杯の総括)
プレースタイルと評価
トップ下や左右のサイドでもプレーできる万能型のアタッカーで、パスの選択、ゴール前への動き出し、位置取りの良さが持ち味。ドルトムントとマンチェスター・Uという欧州の強豪で優勝を経験した実績は、日本人選手のなかでも際立っている。2012年にはAFCアジア国際選手賞に選ばれた。