【選手列伝】内田篤人 シャルケで7年、日本代表74試合の右サイドバック
内田篤人氏は1988年3月27日、静岡県函南町生まれの右サイドバック。鹿島アントラーズ(2006〜10年)でJ1優勝を3度(2007〜09年)経験し、シャルケ(2010〜17年)に移籍。2010-11シーズンにはDFBポカール優勝を経験した。ウニオン・ベルリン(2017〜18年)を経て鹿島に復帰(2018〜20年)し、2018年にはACL優勝を果たした。
日本代表では74試合に出場し、2011年のアジアカップ優勝、2013年のコンフェデレーションズカップ、2014年のW杯に出場している(2011年アジアカップの総括、2014年W杯の総括)。2020年8月20日に現役引退を発表した。
清水東高校から鹿島へ
静岡県の清水東高校に進み、当初はスピードを生かしたウイングとしてプレーしていたが、恩師の判断で右サイドバックへ転向し、生涯のポジションとなった。2006年に高校卒業と同時に鹿島アントラーズへ入団し、3月5日の開幕戦、サンフレッチェ広島戦に17歳で先発してプロデビュー。3月21日には甲府戦でプロ初ゴールを決め、1年目から41試合に出場した。人気投票でオールスターにも選ばれている。
2007年にはJ1優勝と天皇杯優勝の二冠を経験した。天皇杯決勝の広島戦では先制点を決め、2-0の勝利に貢献している。以後、2008年、2009年も優勝して3連覇を達成し、2008年に初めてベストイレブンに選出され、2009年にも2度目の選出となった。クラブは2009年にスーパーカップも制した。
シャルケ、欧州での7年
2010年夏にブンデスリーガのシャルケへ移籍。1年目の2010-11シーズンは、チャンピオンズリーグで日本人として初めてベスト4に進出したクラブの一員となり、準々決勝ではインテル(長友佑都選手所属、長友氏の列伝)と対戦して、CL初の日本人対決が実現した。DFBポカール決勝ではデュースブルクに5-0で勝ち、優勝を果たした。1年目は全大会で43試合に出場している。
その後は、ブンデスリーガの年間ベストイレブンに2度選ばれるなど(2012〜14年)、右サイドバックの主力として活躍した。しかし膝の負傷で長期離脱を余儀なくされ、2016年12月に復帰するまで、長い時間を要した。2017年にウニオン・ベルリンへ移籍して2部でプレーし、2018年に古巣の鹿島に復帰。在籍中の2018年にはクラブがACLを制し、アジア王者となった。
日本代表として
- 2007年:U-20W杯に出場
- 2008年:北京五輪に出場し、1月にA代表デビュー
- 2011年:アジアカップで日本の優勝に貢献(2011年アジアカップの総括)
- 2013年:コンフェデレーションズカップに出場。日本は3戦全敗(2013年コンフェデの総括)
- 2014年:ブラジルW杯のメンバーに選出(2014年W杯の総括)
日本代表での通算は74試合2得点。世界的な強豪を相手にした経験も豊富で、右サイドバックの位置から攻撃の起点になる技術と、正確なクロスが持ち味だった。相手ウイングとの1対1の強さにも定評があった。
引退後
2020年8月20日に現役引退を発表し、同月23日のガンバ大阪戦で現役最後の試合を終えた。引退セレモニーでは、クラブへの感謝と、若い世代に自身の経験を伝えたいという思いを語った。引退後は解説者などとして、サッカーの現場に関わり続けている。