日本代表選手列伝(日本代表)

【選手列伝】長友佑都 W杯5大会連続選出、インテルで7年間プレーした左サイドバック

長友佑都選手は1986年9月12日、愛媛県西条市生まれの左サイドバック。FC東京(2007〜11年)からチェゼーナを経て、インテル(2011〜18年)に移籍し、セリエAの名門で7年間プレーした。その後ガラタサライ(2018〜20年、リーグ2連覇)、マルセイユ(2020〜21年)を経て、2021年からFC東京に復帰している。

日本代表では146試合に出場し、歴代2位。W杯には2010年、2014年、2018年、2022年、2026年の5大会連続で選出され、日本人選手として最多となる(2010年〜2026年の総括)。アジアカップは2011年の優勝を経験した。2011年3月15日のチャンピオンズリーグ・バイエルン戦では、東日本大震災の直後に、日章旗を掲げた。

無名から明治大学、FC東京へ

愛媛県西条市出身で、小学1年でサッカーを始めた。中学時代の恩師のもとで走り込みを重ね、現在の豊富な運動量と体幹の強さの土台を作ったという。強豪の東福岡高校に進んだが全国的な知名度はなく、明治大学へは指定校推薦で入学した。大学ではボランチからサイドバックへコンバートされ、腰の故障を乗り越えて急成長し、大学選抜やU-22日本代表に選ばれた。2007年に特別指定選手としてFC東京へ加わり、2008年に大学在学中のままプロ契約を結んだ。

プロ1年目の2008年に開幕戦から先発出場を果たし、岡田武史監督のA代表に初招集。5月のコートジボワール戦で代表デビューを飾り、11月のシリア戦で初ゴールを決めた。2009年には走り方の改善に取り組み、ナビスコカップ優勝とJリーグのベストイレブン選出を果たした。

2010年W杯からインテルへ

2010年の南アフリカW杯では全4試合に左サイドバックとしてフル出場し、カメルーン戦でエトーを封じ、オランダ戦でも相手のエースを抑え込んで、日本のベスト16進出に貢献した(2010年W杯の総括)。この活躍を受けてセリエAに昇格したチェゼーナへ移籍し、開幕から左サイドバックとして活躍した。

2011年1月、アジアカップでは全6試合にフル出場し、決勝のオーストラリア戦では李忠成選手の決勝点をアシストして優勝に貢献した(2011年アジアカップの総括)。同月にはインテルへ電撃的に移籍し、2011年のコッパ・イタリア決勝でイタリアでの初タイトルを手にした。同年7月に完全移籍が発表され、以降7年にわたって主力・副主将を務め、インテルでは通算200試合以上に出場した。チャンピオンズリーグでは、内田篤人選手(内田氏の列伝)が所属するシャルケとの日本人対決が実現し、注目を集めた。

ガラタサライ、マルセイユ、そしてFC東京へ

2018年1月に出場機会を求めてガラタサライへ期限付き移籍し、同年のリーグ優勝(3年ぶり21度目)に貢献。完全移籍後も同クラブに在籍した。2020年にマルセイユ(フランス)へ移り、2021年9月に約11年ぶりにFC東京へ復帰した。

W杯5大会連続選出の歩み

  • 2010年(南アフリカ):全4試合フル出場でベスト16
  • 2014年(ブラジル):3試合フル出場。コートジボワール戦では本田圭佑選手の先制点をアシストしたが、グループ敗退(2014年W杯の総括)
  • 2018年(ロシア):セネガル戦で乾貴士選手の得点をアシスト。ベスト16(2018年W杯の総括)
  • 2022年(カタール):フィールドプレーヤーとして史上初の4大会目。ドイツ・スペインを破ったグループリーグを含む全4試合に先発し、W杯の日本代表最多となる通算15試合出場に到達(2022年W杯の総括)
  • 2026年:代表に復帰し、アジア人初となる5大会連続選出。スウェーデン戦に出場して5大会連続出場を果たし、自身が持つW杯日本人最年長出場記録を更新(2026年W杯の総括)

プレースタイルと評価

豊富な運動量と抜群のスピード、体の強さが持ち味で、上背はなくても大型のFWにも競り負けない身体能力を持つ。イタリアの『ガゼッタ・デロ・スポルト』は、インテルに足りなかった闘争心を示す存在だと評した。実力に加え、明るい人柄でチームのまとめ役になれる点も評価され、2024年3月には代表に復帰している。5大会連続でW杯に選ばれたキャリアは、日本サッカー史に残る記録である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です