日本代表選手列伝(日本代表)

【選手列伝】鮫島彩 震災を越えてW杯優勝、日本代表114試合の左サイドバック

鮫島彩氏は1987年6月16日、栃木県宇都宮市生まれの左サイドバック。東京電力女子サッカー部マリーゼ(2006〜11年)から、アメリカのボストン・ブレイカーズ、フランスのモンペリエ、ベガルタ仙台レディース、INAC神戸、大宮アルディージャVENTUS(2021〜24年)でプレーし、日本代表では114試合に出場して5得点を挙げた。

2011年3月の東日本大震災と福島第一原発事故により、所属していたマリーゼは活動を自粛。その年のW杯で日本の優勝を経験した(2011年W杯の総括)。2012年の五輪銀メダル、2015年のW杯準優勝にも貢献し、2024年5月23日に2023-24シーズン限りでの引退を発表した。

常盤木学園から東京電力マリーゼへ

小学1年生の時に近所の女子チームでサッカーを始め、中学ではテニス部に所属していたが、地元のクラブで頭角を現した。その後、宮城県仙台市の常盤木学園高校へサッカー留学し、1年生からレギュラーとして活躍。高校時代は攻撃的MFとしてスピードのあるドリブルを武器にしていた。2006年に東京電力女子サッカー部マリーゼに入団し、プロ契約ではなかったため、福島第一原発で事務の仕事をしながら練習と試合に臨んだ。

2007年にチームは2部へ降格したが、鮫島氏は2部のMVPに選ばれ、チームは1年で1部復帰を果たした。2008年になでしこジャパンに初選出され、サイドの突破力を買われて、MFから左サイドバックへコンバートされた。同年3月10日のキプロス・カップのロシア戦で代表デビューし、5月のアジアカップでは、チャイニーズタイペイ戦で代表初ゴールを記録した。

震災、そして世界一へ

2011年3月の震災と原発事故を受けて、マリーゼは活動を自粛することとなった。鮫島氏は悩んだ末にサッカーを続けることを選び、米国WPSのボストン・ブレイカーズへ移籍。6月に後半から出場してWPSデビューを果たした。同月開幕した2011年の女子W杯ドイツ大会には、左サイドバックとして全試合に先発出場し、7月17日の決勝でアメリカを破って優勝した(2011年W杯の総括)。同年8月には、同じ栃木県出身の安藤梢氏とともに栃木県県民栄誉賞を受けている。

同年9月にはフランスのモンペリエへ移り、12月にはチームメイトの熊谷紗希氏(熊谷氏の列伝)らとともに被災地の小学校を訪ね、児童たちとサッカー教室で交流した。2012年7月にはベガルタ仙台レディースへ移籍し、同クラブ初のプロ契約選手となった。同年のロンドン五輪では6試合中5試合に出場して銀メダルを獲得した(2012年五輪の総括)。

INAC神戸、そして2015年W杯

2015年1月にプロ契約でINAC神戸へ移籍し、同年の皇后杯で優勝して自身初のクラブタイトルを獲得(2016年も優勝)。同年6月からのカナダW杯では、決勝でアメリカに敗れて準優勝だったが、米スポーツ専門局ESPNが選ぶ大会ベストイレブンに、日本から唯一選出された(2015年W杯の総括)。2016年、2017年にはなでしこリーグのベストイレブンに選ばれた。

  • 2008年:アジアカップ3位。キプロス・カップで代表デビュー
  • 2010年:アジア競技大会、東アジア選手権で優勝
  • 2011年:W杯ドイツ大会で優勝
  • 2012年:ロンドン五輪銀メダル
  • 2015年:W杯カナダ大会で準優勝
  • 2018年:アジアカップ優勝、アジア競技大会優勝(女子アジアカップまとめ)
  • 2019年:W杯フランス大会のメンバー(2019年W杯の総括)

晩年と引退後

2021年1月に大宮アルディージャVENTUSへ移籍し、国内初のプロ女子リーグであるWEリーグの初年度から出場。2023-24シーズンにはWEリーグの優秀選手賞に選ばれ、2024年5月23日に引退を発表した。引退会見では、裏方や集客への関心を語り、今後もさまざまなことに挑戦したいと述べている。現役中の2023年から筑波大学大学院で学び、2025年3月に修了している。粘り強い守備とサイドの上下動、経験に裏打ちされた安定感で、なでしこジャパンの左サイドを長く支えた選手である。

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