日本代表監督列伝(日本代表)

【監督列伝】森保一 2022年W杯でドイツ・スペインを撃破、2026年W杯はブラジルに1-2敗退

森保一氏は1968年8月23日、静岡県掛川市生まれ(長崎県育ち)。MFとして、広島などでプレーし、日本代表として35試合に出場、1993年の「ドーハの悲劇」も経験した。指導者としては、サンフレッチェ広島で、2012、13、15年のJ1優勝を達成した。

日本代表の監督は、2018年7月に就任し(東京五輪世代のU-24代表兼任)、2019年のアジアカップは準優勝(2019年アジアカップの総括)、東京五輪は4位。2022年のW杯では、ドイツ(2-1)、スペイン(2-1)を破って首位通過、ラウンド16でクロアチアにPK戦で敗れた(2022年W杯の総括)。2023年のアジアカップは、準々決勝でイランに1-2と逆転負けした(2023年アジアカップの総括)。2025年10月にはブラジルに3-2で初勝利を挙げ、2025年11月のボリビア戦では、代表監督として100試合目を迎えた。

2026年のW杯では、オランダと2-2、チュニジアに4-0、スウェーデンと1-1でグループ2位通過し、ラウンド32でブラジルに、後半アディショナルタイムの失点で1-2と敗れた(2026年W杯の総括、W杯メンバー発表)。2027年のアジアカップが集大成となり、大会後は大岩剛氏が引き継ぐ、と報じられている(アジアカップ2027の展望)。

無名の高校生からドーハの悲劇へ

静岡県掛川市で生まれ、長崎市で育った。小学6年でサッカーを本格的に始めるまでは野球少年で、高校は長崎日本大学高校へ進み、全国大会には縁がない比較的無名の選手だった。1987年に、当時のJSL・マツダ(現サンフレッチェ広島)に入団すると、監督に就任したハンス・オフト氏(オフト氏の列伝)に見出される。1992年4月にオフト氏が日本代表監督に就くと、無名の選手ながら代表に抜擢され、5月のアルゼンチン戦で先発デビューした。視野の広さと危機察知に優れたボランチとして、「ボランチ」という言葉が広まるきっかけの選手となり、ラモス瑠偉氏のカバー役を担った。1993年のW杯アジア最終予選にも出場し、ドーハの悲劇を経験している。

クラブでは、Jリーグ開幕年の1993年6月に、名古屋戦でJリーグ初ゴールを決めた。京都、仙台でもプレーし、2004年に現役を引退した。

サンフレッチェ広島の指導者として

引退後は、広島のコーチや、U-19日本代表のコーチなどを経験し、ミハイロ・ペトロヴィッチ氏の下でトップチームのコーチも務めた。2012年に、クラブ生え抜きとして初めて広島のトップチーム監督に就任すると、初年度にJ1優勝を果たし、2013年に連覇、2015年にも年間優勝して、4年間で3度のリーグ優勝を成し遂げた。「チーム広島」の一体感を大切にする姿勢が、今の代表チームの基盤にもなっている。

東京五輪世代と代表兼任

2017年10月に東京五輪を目指す五輪代表の監督に就任。2018年にはロシアW杯にコーチとして帯同し、西野朗氏(西野氏の列伝)を支えた。同年7月にA代表の監督に昇格し、A代表と五輪代表の兼任はトルシエ氏に次いで2人目、日本人としては初めてだった。2021年の東京五輪では、グループリーグ3連勝で決勝トーナメントに進んだが、準決勝でスペインに、3位決定戦でメキシコに敗れ、4位で大会を終えた。

W杯での戦い

  • 2021年:W杯アジア最終予選で、1勝2敗の苦しい出だしから6連勝で立て直し、7大会連続の本大会出場を決めた
  • 2022年:E-1選手権で優勝し、代表監督として初のタイトルを獲得
  • 2022年W杯(カタール):ドイツ、スペインに、日本代表史上初の勝利を収め、グループ首位で突破。ラウンド16でクロアチアにPK戦で敗れた
  • 2022年12月:続投が発表された。W杯を指揮した日本代表監督が大会後も続投するのは初めて
  • 2025年:10月にブラジルに3-2で初勝利、11月に代表監督通算100試合目
  • 2026年W杯(北中米):グループ2位通過、ラウンド32でブラジルに1-2

前例のない戦い方を用いた2022年のドイツ、スペイン戦での采配は、フランスの『レキップ』紙のW杯監督ランキングで2位に選ばれるなど、国際的にも高く評価された。選手の判断力と、チーム全体の一体感を重視し、欧州のクラブで活躍する選手をまとめ上げた、森保ジャパンの最大の強みである。

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