【選手列伝】エドガー・ダーヴィッツ ゴーグルをかけた「ピットブル」、ユヴェントスの闘将
エドガー・ダーヴィッツ氏は1973年3月13日、スリナムのパラマリボ生まれの守備的MF。アヤックス(1991〜96年)、ミラン、ユヴェントス(1997〜2004年、159試合9得点)、バルセロナ(貸与)、インテル、トッテナム、アヤックス、クリスタル・パレス、バーネット(選手兼監督)などでプレーした。特徴的な専用ゴーグルを着用し、ユヴェントスではセリエA優勝を3度(1998、2002、2003年)経験した。愛称は「ピットブル」。
オランダ代表では、1994年から2005年までに74試合6得点。1998年のW杯、1996年、2000年、2004年の欧州選手権に出場した(1998年W杯の総括、EURO 1996の総括)。
アヤックスから世界へ
ダーヴィッツ氏は幼少期にオランダへ移り住み、アヤックスの下部組織で育った。1991年にプロデビューし、当時のルイス・ファン・ハール監督(監督列伝はこちら)のもとで頭角を現した。アヤックスではリーグ戦106試合20得点。リーグ優勝を1993-94、94-95、95-96シーズンと3連覇し、1994-95シーズンにはチャンピオンズリーグを制覇。1991-92シーズンのUEFAカップ、1995年のUEFAスーパーカップとインターコンチネンタルカップのタイトルも手にした。運動量豊富に中盤を駆け回るスタイルは、後に「ピットブル」の愛称につながっていく。
ユヴェントスでの黄金期
1996年にミランへ移籍したが、1シーズンでリーグ戦19試合1得点にとどまった。1997年にユヴェントスへ移籍すると、中盤の底で攻守にわたって存在感を放ち、7シーズンで159試合9得点を記録。セリエAを1997-98、2001-02、2002-03シーズンに制し、2003年にはスーペルコッパ・イタリアーナも獲得した。チャンピオンズリーグは1997-98、2002-03シーズンに決勝進出を果たしたが、いずれも準優勝に終わっている。ドレッドヘアと専用ゴーグルという独特の風貌と、激しい当たりと運動量から、ファンや対戦相手に強い印象を残した。
| 期間 | クラブ | リーグ戦(出場-得点) |
|---|---|---|
| 1991〜96年 | アヤックス | 106-20 |
| 1996〜97年 | ミラン | 19-1 |
| 1997〜2004年 | ユヴェントス | 159-9 |
| 2004年 | バルセロナ(貸与) | 18-1 |
| 2004〜05年 | インテル | 14-0 |
| 2005〜07年 | トッテナム | 40-1 |
| 2007〜09年 | アヤックス | 25-1 |
| 2010年 | クリスタル・パレス | 6-0 |
| 2012〜14年 | バーネット | 36-1 |
2004年にはバルセロナへ貸与され、その後インテルに移って2004-05シーズンのコッパ・イタリアを制した。トッテナムでも活躍し、2007年にアヤックスへ復帰。2007年のKNVBカップに貢献した。
オランダ代表での歩み
- 1994年 代表デビュー
- 1996年 EURO:準々決勝進出(EURO 1996の総括)
- 1998年 W杯:4位。大会のオールスターチームにも選ばれた(1998年W杯の総括)。決勝トーナメント1回戦のユーゴスラビア戦(2-1)ではゴールを決めた
- 2000年 EURO:自国開催でベスト4。大会ベストイレブンに選出(EURO 2000の総括)
- 2004年 EURO:ベスト4(EURO 2004の総括)
1994年から2005年までの11年間で通算74試合6得点。ヒディンク監督(監督列伝はこちら)率いる1998年の4位躍進は、中盤で攻守を支えたダーヴィッツ氏の存在なしには語れない。
選手兼監督としての終盤
2012年にはイングランド4部のバーネットに選手兼監督として加わり、36試合1得点を記録。2014年1月に監督を退任した後、現役を退いた。ブランド「モンタ」を通じてストリートサッカー関連の事業にも携わるなど、ピッチ外でも独自の存在感を放ってきた。2004年にはペレが選ぶ「FIFA 100」にも選ばれている。
出典: Wikipedia(英語版)ほか