日本代表選手列伝(日本代表)

【選手列伝】宮間あや なでしこジャパンのキャプテン、W杯・五輪で世界を経験

宮間あや氏は1985年1月28日、千葉県大網白里市生まれのMF。岡山湯郷Belleを中心に(2001〜16年)、LAソル、アトランタ・ビートなどでプレーし、日本代表では162試合に出場して38得点を挙げた。

2011年のW杯優勝メンバーで、決勝ではアメリカを相手に81分に同点ゴールを決め、PK戦でも1人目のキッカーを務めた(2011年W杯の総括)。2012年のロンドン五輪の銀メダル(2012年五輪の総括)、2015年のW杯の準優勝(2015年W杯の総括)ではキャプテンとしてチームを牽引し、2015年大会では大会のブロンズボールも受賞した。2016年11月5日に岡山湯郷を退団し、事実上の引退となった。

父のクラブで始まったサッカー人生

千葉県の大網白里で、父が作ったクラブでサッカーを始めた。小学6年生の時には特例で中学1年生の男子チームに加わり、県大会の決勝でVゴールを決めて優勝に導いたという。小学5年生の時に米国遠征で元日本代表の本田美登里氏と出会い、これが後の進路を決めることになる。読売メニーナから日テレ・ベレーザ(NTVベレーザ)に昇格したが、高校2年の時に退団し、幕張総合高校では男子サッカー部に入って練習を続けた。

2001年、本田さんが率いる岡山湯郷Belleに第1期生として入団する。高校時代は、金曜の放課後に岡山へ移動して日曜の試合後に千葉へ帰る生活を送った。2004年には2部リーグで17得点を挙げて得点王とMVPに輝き、チームの1部昇格に貢献。2007年には1部のベストイレブンに選ばれた。

米国でのプレーと岡山への復帰

2009年に発足した米国のWPSでロサンゼルス・ソルに加入し、開幕戦でリーグ初ゴールをアシスト。この年はリーグ最多タイの6アシストを記録し、チーム内で唯一全試合にフル出場した。2010年にはセントルイス・アスレティカ、アトランタ・ビートに所属し、同年秋に岡山湯郷へ完全復帰した。2011年には3年ぶりにリーグのベストイレブンに選ばれ、2014年にはチームのなでしこリーグ・レギュラーシリーズ優勝に貢献した。

日本代表でのキャリア

  • 2003年:W杯アメリカ大会に代表として出場
  • 2007年:W杯中国大会のイングランド戦で、2本の直接FKを決め、2得点で引き分けに持ち込む
  • 2011年:W杯ドイツ大会の初戦ニュージーランド戦で、FKから決勝点。決勝のアメリカ戦では1得点1アシストで、澤穂希選手(澤氏の列伝)の同点ゴールをCKからアシストし、PK戦でも1人目を成功。大会通算2得点4アシストで、大会のオールスターチームに選出された
  • 2012年:2月に佐々木則夫監督(佐々木氏の列伝)から主将に指名され、ロンドン五輪の準決勝フランス戦ではFKから2得点の起点となり、銀メダルに貢献
  • 2014年:アジアカップ(ベトナム)で初優勝し、大会MVP(女子アジアカップまとめ)
  • 2015年:W杯カナダ大会に主将として出場し、決勝でアメリカに2-5で敗れたが準優勝
  • 2016年:リオ五輪アジア最終予選で日本が3位となり、出場権を逃した。代表通算は162試合38得点

2011年、2012年、2015年にはAFC年間最優秀女子選手にも選ばれている。

スポーツマンシップと評価

決勝のPK戦で優勝が決まった直後、宮間氏は仲間と喜ぶより先に、敗れたアメリカの選手たちのもとへ歩み寄って労った。この振る舞いは、相手選手のホープ・ソロ氏も語り、日本のメディアだけでなく海外でも称えられた。また、ロンドン五輪の準決勝後にも、かつて米国でプレーした同僚のフランス代表選手をなぐさめる姿がスポーツマンシップの象徴として報じられた。

右利きながら左足でも同じ精度でボールを蹴ることができ、FKやCKのキッカーとして、なでしこジャパンの重要な武器だった。澤穂希氏は「セットプレーでは、自分はボールに体をあてるだけでいい」と評したという。2016年に現役を退いた後も、女子サッカーのイベントへの参加や指導などで活動を続けており、2025年3月には日本サッカー協会の女子委員会委員長補佐に就任した。

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