日本代表選手列伝(日本代表)

【選手列伝】遠藤保仁 日本代表歴代最多152試合、ガンバ大阪の黄金期を支えた「ヤット」

遠藤保仁氏は1980年1月28日、鹿児島県桜島町(現・鹿児島市)生まれのMF。横浜フリューゲルス(1998〜99年)、京都(1999〜2001年)を経て、ガンバ大阪(2001〜20年)、磐田(2020〜23年)でプレーした。ガンバではJ1優勝(2005年、2014年)、ACL優勝(2008年)を経験し、2014年にはJリーグ年間最優秀選手に輝いた。

日本代表では歴代最多の152試合に出場して15得点を挙げた。W杯は2006年、2010年、2014年の3大会に選出され、2010年は全4試合に先発してデンマーク戦では直接フリーキックを決めた(2010年W杯の総括)。アジアカップは2004年と2011年の優勝に貢献した(2011年アジアカップの総括)。2024年1月9日に現役引退を発表した。

鹿児島から横浜、京都へ

鹿児島実業高校で全国的に知られる存在となり、1998年に横浜フリューゲルスへ加入した。監督のカルロス・レシャックに才能を見出され、開幕戦でプロデビューを飾る。クラブは同年限りで消滅したが、この年の天皇杯優勝メンバーの一人となった(最後のタイトル)。1999年に京都パープルサンガへ移籍して主力となり、2001年にガンバ大阪に加わった。

ガンバ大阪の中心として

西野朗監督(西野氏の列伝)の下、ガンバは攻撃的なサッカーで躍進し、遠藤氏は中盤の司令塔として長くチームを支えた。2003年から10年連続でJリーグのベストイレブンに選ばれた。主なタイトルは次の通り。

  • 2005年:クラブ史上初のJ1優勝
  • 2007年:ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)優勝
  • 2008年:ACL優勝、天皇杯優勝、クラブW杯で3位、日本年間最優秀選手を受賞(2014年に続き2度目)
  • 2009年:天皇杯連覇、アジア年間最優秀選手に選出
  • 2012年:J2降格を経験するが残留を選び、2013年のJ2優勝、2014年のJ1昇格即優勝(J1・ナビスコ杯・天皇杯の三冠)に貢献し、Jリーグ年間最優秀選手と日本年間最優秀選手に

2019年には日本人選手として初めて公式戦通算1000試合に到達し、2020年にはJ1歴代最多出場記録も更新した。20年にわたるガンバ在籍を経て2020年に磐田へ移籍し、2021年のJ2優勝も経験した。Jリーグ通算出場は672試合で歴代最多とされる。

日本代表での歩み

1999年のワールドユース(現U-20W杯)では準優勝を経験した。フル代表へは2002年にジーコ監督(ジーコ氏の列伝)によって初招集され、同年11月のアルゼンチン戦で初出場を果たした。2003年にはコンフェデレーションズカップに全試合先発し、同年8月のナイジェリア戦で代表初ゴール。2004年のアジアカップでは連覇に貢献した(2004年アジアカップの総括)。2006年のドイツW杯は選ばれたものの、フィールドプレーヤーでは唯一出場機会がなかった(2006年W杯の総括)。

2010年の南アフリカW杯では岡田武史監督の下で主力となり、デンマーク戦のFKなどでベスト16進出に貢献した。2012年10月にはブラジルとの親善試合で井原正巳氏の代表出場記録122試合を抜いて歴代最多となり、2015年のアジアカップ(2015年アジアカップの総括)ではパレスチナ戦で先制点を挙げ、イラク戦で通算150試合目に到達した。その後は代表を離れ、通算152試合15得点で終えた。

プレースタイルと引退後

強い回転のかかったミドルシュートと正確なプレースキック、そして「コロコロPK」で知られる冷静さが持ち味だった。運動量に頼らず、ボランチとして試合の流れを読んで攻守のバランスを取るタイプだったが、オシム監督から「チームのために走りなさい」と指導され、ドリブルやゴール前への飛び出しでも存在感を示すようになった。2024年に現役を退いた後は、指導者としてガンバ大阪に復帰している。

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