【監督列伝】西野朗 2018年W杯でベルギーに2-0から惜敗、「マイアミの奇跡」を率いた指揮官
西野朗氏は1955年4月7日、埼玉県浦和市生まれ。日立でプレーしたMFで、日本代表として12試合に出場した。指導者としては、1996年のアトランタ五輪(U-23代表)で、ブラジルを破る「マイアミの奇跡」を起こし、ガンバ大阪で2005年のJ1初優勝、2008年のACL優勝を達成した。
日本代表の監督は、2018年4月に、日本サッカー協会の技術委員長から就任した。7試合で2勝1分4敗。2018年のW杯では、コロンビアに2-1、セネガルに2-2、ポーランドに0-1で、フェアプレーポイントの差でグループ2位通過、ラウンド16では、ベルギーに2-0から逆転され2-3(後半アディショナルタイムの失点)で敗退した(2018年W杯の総括)。
選手時代:ケルンのテストを受けた大学生
浦和西高校から早稲田大学へ進み、在学中に日本代表に選ばれた。1977年の夏には、日本代表の一部が西ドイツで合宿を行い、後に日本人初のプロ選手となる奥寺康彦氏、金田喜稔氏らとともに、ケルンの練習に参加したことがあったという。1978年に日立製作所へ入社し、1985年には日本サッカーリーグのタイ記録となる8試合連続得点を挙げてベストイレブンに選ばれた。天才肌のMFとして知られ、1990年に現役を引退した。
「マイアミの奇跡」と柏レイソル
1991年からU-20日本代表を指導し、1994年からアトランタ五輪を目指すU-23日本代表の監督を務めた。1968年のメキシコ大会以来28年ぶりの五輪出場を決め、本大会では、優勝候補のブラジルを1-0で破る「マイアミの奇跡」を演出した。GKには川口能活氏(川口氏の列伝)が入り、中田英寿氏(中田氏の列伝)らもメンバーにいた(1996年五輪の総括)。
1998年から柏レイソルの監督を務め、1999年にはナビスコカップで鹿島との死闘の末に優勝し、クラブと西野氏自身の初タイトルを獲得した。2000年には2ndステージで鹿島と最後まで争って2位となり、Jリーグ最優秀監督賞を受けた。
ガンバ大阪の黄金期
2002年にガンバ大阪の監督に就任すると、それまでタイトルと無縁だったクラブを上位に押し上げ、就任4年目の2005年に、J1初優勝を成し遂げた。攻撃的で華麗なパスサッカーは、遠藤保仁氏(遠藤氏の列伝)ら中盤の技術に支えられていた。
- 2005年:J1初優勝、Jリーグ最優秀監督賞
- 2007年:ナビスコカップ優勝。同年3月にはJリーグ監督として史上初のJ1通算150勝
- 2008年:ACL優勝、天皇杯優勝。クラブW杯準々決勝(アデレード戦)では、日本人監督としてFIFA主催の公式大会で初勝利
- 2009年:J1通算200勝、天皇杯連覇
- 2011年:契約満了で退任(在任10年)
J1リーグでの監督通算勝利数(270)は歴代1位とされる。その後は、ヴィッセル神戸(2012年)、名古屋グランパス(2014〜15年)を指揮した。
日本代表監督:わずか2か月の挑戦
2016年3月に日本サッカー協会の技術委員長に就き、2018年4月にハリルホジッチ氏(ハリルホジッチ氏の列伝)の後任として代表を率いることになった。W杯前の親善試合はガーナ戦、スイス戦と0-2の連敗だったが、6月12日のパラグアイ戦(4-2)でメンバーを入れ替えて初勝利をつかみ、本大会の先発を半数入れ替える決断をした。
ロシアW杯では、初戦でコロンビアに2-1で勝ち、アジア勢として初めて南米のチームから白星を挙げた。セネガルと2-2で引き分けたあと、第3戦のポーランド戦は0-1で敗れたが、他会場の状況を見て終盤にパス回しを選び、フェアプレーポイントの差でグループ2位で16強に進んだ。ラウンド16では、ベルギーに2-0とリードしながら、後半アディショナルタイムの失点で2-3と逆転負けを喫し、日本初のベスト8を逃した。
その後
大会後に代表監督を退任し、2019年には第16回日本サッカー殿堂入りを果たした。同年7月からタイ代表の監督を務め、2021年に契約を終えている。ベンチの采配と大胆な入れ替えで、選手の能力を引き出す手腕は、日本サッカー界で高く評価されている。