【選手列伝】マルク・オーフェルマルス アヤックス、アーセナル、バルセロナを渡り歩いた「スピードの申し子」
マルク・オーフェルマルス氏は1973年3月29日、エムスト生まれのウインガー。ゴー・アヘッド・イーグルス、ヴィレムIIを経て、アヤックス(1992〜97年)、アーセナル(1997〜2000年)、バルセロナ(2000〜04年)でプレーした。アヤックスでは1995年のチャンピオンズリーグ優勝、アーセナルでは1997-98シーズンにプレミアリーグとFAカップの2冠を経験した。バルセロナへの移籍は、当時のオランダ人選手として史上最高額の2,500万ポンドだった。
オランダ代表では、1993年から2004年までに86試合17得点。W杯は1994年と1998年、欧州選手権は2000年と2004年に出場した(1994年W杯の総括、1998年W杯の総括、EURO 2000の総括)。2004年に膝の負傷で引退を表明したが、2008年に復帰し、ゴー・アヘッド・イーグルスで1年プレーした。
ヘルデルラント州の小さな町から
オーフェルマルス氏は、ヘルデルラント州の小さな町エムストで生まれ、地元のSVエペで少年時代を過ごした後、1987年にデーフェンテルのゴー・アヘッド・イーグルスの下部組織に入った。1990-91シーズンにトップチームに定着し、翌年ヴィレムIIでリーグ戦31試合に出場。この活躍が評価されて1992年にアヤックスへ移籍した。
クラブごとの歩み
| 期間 | クラブ | リーグ戦(出場-得点) | 主な実績 |
|---|---|---|---|
| 1990〜91年 | ゴー・アヘッド・イーグルス | 11-1 | プロデビュー |
| 1991〜92年 | ヴィレムII | 31-1 | 1年で評価を高める |
| 1992〜97年 | アヤックス | 136-36 | リーグ3連覇(1993-94〜95-96)、1994-95にチャンピオンズリーグ制覇、1995年インターコンチネンタルカップ |
| 1997〜2000年 | アーセナル | 100-25 | 1997-98にプレミアリーグとFAカップの2冠 |
| 2000〜04年 | バルセロナ | 97-15 | タイトルなし。2,500万ポンドの移籍金 |
| 2008〜09年 | ゴー・アヘッド・イーグルス | 24-0 | 古巣で復帰 |
アヤックスの黄金世代の快足ウインガー
アヤックスでは、ルイス・ファン・ハール監督(監督列伝はこちら)の下で、クライファート氏(選手列伝はこちら)、ダーヴィッツ氏、セードルフ氏、ライカールト氏らと若きチームを形成し、左サイドで縦に切り裂く快足を武器に活躍した。1993年にはオランダの「ゴールデンシュー」(年間最優秀選手)を受賞し、1994年のW杯では大会最優秀若手選手にも選ばれた。1995年のチャンピオンズリーグ制覇時のメンバーの一人で、同年のインターコンチネンタルカップも制している。一方で、1995年12月に前十字靱帯を痛めて約8か月の離脱を余儀なくされ、その後のキャリアにも影響を与えることになった。
アーセナルでの2冠
1997年にアーセナルに移籍。加入当初はメディアやファンから厳しい評価を受けたが、1997-98シーズンの終盤には攻撃の軸となった。この年、マンチェスター・ユナイテッドとの直接対決で決勝ゴールを挙げ、優勝への流れを引き寄せたほか、FAカップ決勝のニューカッスル戦(2-0)では先制ゴールを決め、クラブは2冠を達成した。3シーズンでリーグ戦100試合25得点を記録した。快足を生かしたカウンターで、当時のアーセナルの攻撃の中心となっていた。同じオランダ人のベルカンプ氏(選手列伝はこちら)とは、クラブでも代表でも息の合ったコンビを組んだ。
バルセロナへの移籍と引退
2000年に約2,500万ポンドでバルセロナに移籍。これは当時のオランダ人選手として史上最高額の移籍金だった。ただし在籍した4年間はチームがタイトルを獲得できず、度重なる監督交代や膝の負傷もあって、出場機会は徐々に減っていった。慢性的な膝の負傷のため、2004年に引退を表明したが、2008年に古巣ゴー・アヘッド・イーグルスで現役に復帰し、1シーズンをプレーして再び引退した。
オランダ代表での歩み
- 1994年 W杯:大会最優秀若手選手(1994年W杯の総括)
- 1998年 W杯:4位。準々決勝アルゼンチン戦の勝利に貢献(1998年W杯の総括)
- EURO 2000:準決勝進出(EURO 2000の総括)
- EURO 2004:ベスト4(EURO 2004の総括)
1993年から2004年まで、11年間で86試合17得点。その快足は、ライバルチームにとって最大の脅威の一つだった。
出典: Wikipedia(英語版)ほか