【選手列伝】吉田麻也 プレミアで8年プレーしたセンターバック、W杯3大会で主将
吉田麻也選手は1988年8月24日、長崎市生まれのCB。名古屋グランパス(2007〜10年)から、オランダのVVVフェンロ(2010〜12年)を経て、サウサンプトン(2012〜20年)でプレミアリーグを8年間戦った。その後サンプドリア(2020〜22年)、シャルケ(2022〜23年)を経て、2023年からLAギャラクシーでプレーしている。
日本代表では127試合12得点で、歴代3位。W杯には2014年、2018年、2022年の3大会に出場し、2022年大会ではキャプテンを務めた(2014年・2018年・2022年の総括)。五輪は2008年、2012年、2020年の3大会に出場し、2012年はオーバーエイジ枠で主将を務めた。アジアカップは2011年に優勝、2019年に準優勝を経験している。
長崎から名古屋へ
長崎市の南陵FCでサッカーを始め、小学生時代は体格を生かしてフォワードだった。小学6年生の時に名古屋グランパスのU-15セレクションに合格し、家族と離れて愛知県で暮らすようになる。クラブは統率力に目をつけて後方のポジションで起用し、高校進学時には将来の海外挑戦を見据えて、英語を学べる環境を重視して愛知県立豊田高校を選んだ。U-18ではアンカーとして足元の技術を磨き、2006年の全日本ユース選手権では主将として準優勝に導いた。
2007年にトップチームへ昇格すると、オランダ人のフェルフォーセン監督にセンターバックとして起用されて19試合に出場。2008年にはストイコビッチ監督の信頼を得てレギュラーとなり、同年の北京五輪代表にも選ばれた。2009年には背番号4を引き継いでDFの軸として25試合に出場した。
フェンロ、そしてサウサンプトンでの8年
2010年1月にVVVフェンロへ移籍したが、直後の練習試合で足首を骨折し、最初のシーズンは出場がなかった。2011-12シーズンは初めてシーズンを通して主力を務め、PSV戦でのジャンピングボレーは、オランダの番組でシーズンのベストゴールに選ばれた。
2012年8月にサウサンプトンへ完全移籍し、プレミアリーグの舞台に立った。2013年1月にはマンチェスター・ユナイテッドの香川真司選手(香川氏の列伝)とプレミア史上初の日本人対決を実現し、2017年4月には日本人選手として初めてプレミアリーグ通算100試合出場を達成した。ファン・ダイクらとのポジション争いで出番を失う時期もあったが、2016-17シーズンにはリーグカップ準決勝のリバプール戦を無失点に抑え、決勝(マンチェスター・ユナイテッドに2-3で惜敗)ではベストイレブンに選ばれた。クラブ在籍中には主将としてピッチに立つ試合もあり、地元紙の年間最優秀選手投票でも2位となっている。
2020年1月にサンプドリアへ移り、セリエAでプレー。2021年1月にセリエA初ゴールを決め、2022年にはシャルケへ、2023年8月には米国のLAギャラクシーに加入した。2024年からクラブのキャプテンを務め、同年のMLSカップ決勝でニューヨーク・レッドブルズを破り、クラブチームでの初タイトルを獲得した。
日本代表とキャプテンシー
- 2010年1月:イエメン戦でA代表デビュー(2010年W杯メンバーには入れず)
- 2011年:アジアカップ初戦のヨルダン戦で代表初ゴール。大会優勝(2011年アジアカップの総括)
- 2012年:ロンドン五輪でオーバーエイジ枠の主将。準々決勝のエジプト戦でセットプレーからゴールを決め、4位(2012年五輪の総括)
- 2014年:ブラジルW杯で全試合先発(2014年W杯の総括)
- 2017年:W杯アジア最終予選で日本代表唯一の全試合フル出場
- 2018年:ロシアW杯でグループ突破に貢献し、ベルギー戦では英メディアのマン・オブ・ザ・マッチ。W杯後は長谷部誠氏(長谷部氏の列伝)に代わって主将に(2018年W杯の総括)
- 2019年:アジアカップにキャプテンとして出場し準優勝(2019年アジアカップの総括)
- 2021年:東京五輪(オーバーエイジ)で主将を務め、五輪通算13試合出場は史上最多タイの記録。4位
- 2022年:カタールW杯でキャプテンとして、ドイツ戦を含むグループ首位通過に貢献(2022年W杯の総括)
評価と人物像
センターバックとして守備の統率力と空中戦に加え、キャプテンとして周囲をまとめる力が評価された。日本代表では2010年から2022年まで、長く不動のレギュラーとして最終ラインを守り続けた。英語をはじめとするコミュニケーション力を生かし、日本プロサッカー選手会の会長も務めている。