【選手列伝】ウェスレイ・スナイデル 代表最多134試合、2010年W杯で準優勝の司令塔
ウェスレイ・スナイデル氏は1984年6月9日、ユトレヒト生まれの攻撃的MF。アヤックス(2002〜07年、126試合43得点)、レアル・マドリード(2007〜09年)、インテル(2009〜13年)、ガラタサライ(2013〜17年)、ニース、アル・ガラファでプレーし、2018〜19年に引退した。2010年にはインテルで、セリエA、チャンピオンズリーグ、コッパ・イタリアの3冠を達成した。
オランダ代表では、2003年から2018年までに134試合31得点(代表最多出場)。2010年のW杯では、準優勝に導き、大会のブロンズブーツ(得点3位)、シルバーボール(最優秀選手2位)を受賞した(2010年W杯の総括)。2006年、2014年のW杯、EURO 2004、2008、2012にも出場した(2006年、2014年のW杯総括)。日本との2010年W杯の試合では、53分に決勝点を決めている(日本の総括)。2018年3月に代表引退を表明した。
アヤックスの下部組織から18歳で代表デビュー
スナイデル氏はアヤックスの下部組織で育ち、2002年にトップチームデビュー。2003年4月には18歳でオランダ代表デビューを果たした。アヤックスではリーグ戦126試合43得点を記録し、2003-04シーズンのリーグ優勝、2005-06、2006-07シーズンのKNVBカップを制覇。2004年にはヨハン・クライフ賞を受賞し、2006-07シーズンにはアヤックスの年間最優秀選手にも選ばれた。
クラブごとの歩み
| 期間 | クラブ | リーグ戦(出場-得点) | 主な実績 |
|---|---|---|---|
| 2002〜07年 | アヤックス | 126-43 | リーグ優勝(2003-04)、カップ2回 |
| 2007〜09年 | レアル・マドリード | 52-11 | 2007-08にリーガ優勝 |
| 2009〜13年 | インテル | 76-13 | 2009-10に3冠、クラブW杯優勝(2010) |
| 2013〜17年 | ガラタサライ | 124-35 | リーグ優勝2回、トルコカップ3回 |
| 2017〜18年 | ニース | 5-0 | 短期間の在籍 |
| 2018〜19年 | アル・ガラファ | 22-15 | カタールのカップ優勝 |
レアル・マドリードからインテルへ、3冠の司令塔
2007年に約2,700万ユーロでレアル・マドリードへ移籍し、1年目にリーガ優勝を経験した。2009年にはインテルへ移り、ジョゼ・モウリーニョ監督のもとでその才能が花開く。2009-10シーズンはセリエA、コッパ・イタリア、チャンピオンズリーグを制して3冠を達成し、チャンピオンズリーグではアシスト数でも大会最多となった。UEFAの年間最優秀MFにも選ばれ、FIFAの年間ベストイレブンにも入った。同年12月にはFIFAクラブW杯にも優勝している。ミドルレンジからのシュート、ピンポイントのパス、セットプレーの精度を武器に、チームの攻撃を司った。
ガラタサライ以降
2013年1月にトルコのガラタサライへ移籍し、在籍4年でリーグ戦124試合35得点を記録。2012-13、2014-15シーズンにスュペル・リグを制し、トルコカップも3回獲得。2014-15シーズンにはリーグ最優秀外国人選手に選ばれた。その後、ニース、カタールのアル・ガラファ(15得点を記録)でプレーし、2019年に現役生活を終えた。
オランダ代表での歩み
- EURO 2004:初の主要大会。ベスト4(EURO 2004の総括)
- 2006年 W杯:ベスト16(2006年W杯の総括)
- EURO 2008:「死の組」でイタリアに3-0、フランスに4-1。大会ベストイレブンに選出、大会最多アシスト(EURO 2008の総括)
- 2010年 W杯:全勝で決勝進出。大会5得点でブロンズブーツ、シルバーボールを受賞。決勝でスペインに敗れる(2010年W杯の総括)
- EURO 2012:グループ3戦全敗(EURO 2012の総括)
- 2014年 W杯:3位。メキシコ戦の88分に同点ゴール(2014年W杯の総括)
2010年は日本戦(1-0)で決勝ゴールを挙げ、ブラジル戦(2-1)では2得点、ウルグアイとの準決勝(3-2)でもゴールを決めるなど、決勝トーナメントの重要な試合で勝負を決めた(日本の総括)。2017年にはファン・デル・サール氏(選手列伝はこちら)の130試合を抜いて代表最多出場者となり、2018年3月に代表を引退した。
評価
2010年にはUEFA年間最優秀チームに選ばれ、FIFAからも世界の最優秀MF3人の一人に数えられた。同世代のロッベン氏(選手列伝はこちら)、ファン・ペルシ氏(選手列伝はこちら)らとともに、2010年W杯準優勝チームの中核を担った存在として記憶されている。
出典: Wikipedia(英語版)ほか