【選手列伝】ロナルド・クーマン バルセロナ初の欧州制覇を決めたFKの主、クーマン監督としてもオランダ代表を率いた
ロナルド・クーマン氏は1963年3月21日、ザーンダム生まれのDF・MF。フローニンゲン、アヤックス、PSV(1986〜89年)を経て、バルセロナ(1989〜95年)で192試合67得点を記録。バルセロナでは、1992年の欧州チャンピオンズカップ決勝(サンプドリア戦)で、フリーキックによる決勝ゴールを決めて、クラブ初の欧州制覇を達成した。リーガ4連覇(1991〜94年)も経験している。PSV時代の1988年にも欧州チャンピオンズカップを制した。
オランダ代表では78試合14得点。1988年の欧州選手権優勝を経験し、1994年のW杯では主将を務めた(EURO 1988の総括、1994年W杯の総括)。指導者としては、オランダ代表の監督を、2018〜20年、2023〜26年の2度務め、2024年のEUROでベスト4に導いたが、2026年のW杯でラウンド32敗退の責任を取り、辞任した(EURO 2024の総括、2026年W杯の総括)。
キャリアの歩みと得点力のあるDF
クーマン氏の最大の特徴は、守備的なポジションにいながら圧倒的な得点力を持っていたことだ。リベロやセンターバックとして最終ラインを統率しながら、正確な長距離パスや強烈なミドルシュート、フリーキック、PKを武器にした。生涯でクラブ・代表を通じて250点以上を挙げた、史上屈指の「攻撃的なDF」として知られる。
| 期間 | クラブ | リーグ戦(出場-得点) | 主な実績 |
|---|---|---|---|
| 1980〜83年 | フローニンゲン | 90-32 | プロデビュー |
| 1983〜86年 | アヤックス | 94-23 | 1984-85リーグ優勝、1985-86カップ優勝 |
| 1986〜89年 | PSV | 98-51 | リーグ3連覇、1987-88に欧州チャンピオンズカップ制覇 |
| 1989〜95年 | バルセロナ | 192-67 | リーグ4連覇(1990-91〜93-94)、1991-92に欧州チャンピオンズカップ制覇 |
| 1995〜97年 | フェイエノールト | 61-19 | 現役最後の2年間 |
PSVで三冠、バルセロナで「ドリームチーム」へ
PSVでは1987-88シーズンに、当時のヒディンク監督(監督列伝はこちら)のもとでリーグ、カップ、欧州チャンピオンズカップの3冠を達成し、その年のEUROにも優勝した。クラブと代表で同じ年に欧州の頂点を極めた、数少ない選手の一人である。1989年にはヨハン・クライフ氏(選手列伝はこちら)が率いるバルセロナに加入。ストイチコフやラウドルップらとともに「ドリームチーム」を支え、1992年5月にウェンブリーで行われた決勝では、延長戦のフリーキックでサンプドリアを1-0で下し、クラブ悲願の欧州制覇を決めた。1993-94シーズンはチャンピオンズリーグの得点王にもなった(決勝ではミランに0-4で敗れて準優勝)。個人ではオランダ年間最優秀選手を1987年、1988年に受賞している。
オランダ代表での歩み
- 1988年 EURO:優勝。準決勝の西ドイツ戦(2-1)ではPKを決めて同点に追いついた(EURO 1988の総括)
- 1990年 W杯:西ドイツ戦で89分にPKを決めるも1-2で敗れ、ベスト16敗退(1990年W杯の総括)
- 1992年 EURO:準決勝進出(EURO 1992の総括)
- 1994年 W杯:主将としてベスト8。ブラジルに2-3で惜敗(1994年W杯の総括)
監督として歩んだ道
引退後は指導者に転じ、2000年にフィテッセで監督としてのキャリアを始めた。2001〜05年にアヤックスを率い、2001-02、2003-04シーズンにリーグ優勝(2001-02はカップも制して2冠)。その後、ベンフィカ(2005〜06年)、PSV(2006〜07年、リーグ優勝)、バレンシア(2007〜08年、コパ・デル・レイ優勝)、AZ、フェイエノールト(2011〜14年)、サウサンプトン(2014〜16年)、エバートン(2016〜17年)を歴任した。ちなみにアヤックス、PSV、フェイエノールトのオランダ3強すべてで選手と監督の両方を務めたのは、クーマン氏ただ一人とされている。2012年にはオランダのリヌス・ミケルス賞(年間最優秀監督)を受賞した。
代表監督として、そして古巣バルセロナの監督として
2018年2月にオランダ代表監督に就任し、初代UEFAネーションズリーグ(2018-19)で準優勝(2018-19の総括)。2020年8月にバルセロナ監督へ転じ、2020-21シーズンにコパ・デル・レイを制したが、2021年10月に解任された(監督編の列伝)。2023年1月にオランダ代表へ復帰し、EURO 2024でベスト4に進んだ。2026年のW杯では、グループ首位通過ながらラウンド32でモロッコにPK戦負けを喫し、6月30日に辞任を表明。後任にはシャビ・エルナンデス氏が就任した(辞任の記事、シャビ監督の列伝)。
出典: Wikipedia(英語版)ほか